女性運動家が性規範を敵視するどころか「本物の男とは」と男性性を定義し男らしさを称揚する世界観であり、実体は政治小説とはほぼ遠い。ディストピアの生成過程と有様には社会科学の裏付けはなくSFらしくもない。バイブルベルトの拡大は特定個人の演説力に理由が求められ社会経済の知見は援用されない。全米の女性が職場から追放され男のブラック労働がインフレを抑え込む供給不安の社会にあって、流通は寸断されず専業主婦たちは車を乗り回し従来の物質文明が享受できている。文字の使用が制限されるほどの管理社会で運転や服装に規制が入らないのはちぐはぐだ。
政治小説でもSFでもないとしたら何なのか。
ヒロインの夫は試験勉強に励むノンポリの学生だった。友人の女性運動家は頭のいいヘナチョコと夫を評する。運動家に言わせれば男には二種類いる。本物の男と臆病者であり夫は後者とされる。
男の性規範は具体的に幾度も言及される。政府の依頼を拒む妻を夫は翻意させようとする。罰を受けた仔犬のような夫の目を見てヒロインは夫への愛を見失う。妻は夫の目前で屈辱の宣誓を強いられる。辱めを受ける妻を前にして夫は何もできず動揺するばかりである。これは政治小説ではなく山崎豊子や橋田寿賀子の感性に近く、人生的課題のボールは男性性を喪失した夫に託されている。夫との対比としてセクスィなイタリア男が現れ妻を寝取りこの主題を強化する。ヒロインを侮辱した守衛に握手を求められると伊男は拒みヒロインは留飲を下げる。夫だったらこのデブと握手しただろう。
作中におけるブルーワーカーの扱いは辛辣だ。写真が一枚もない守衛のデスクにしわくちゃの袋に入ったランチを認めてヒロインは怖気を振るう。バイブルベルトが国を乗っ取った理由がそのデスクに集約されているのだが作者はここに深入りしない。
なぜ夫は握手を拒めないのか。彼には家族に責任があり『荒野の七人』のブロンソンに言わせれば夫こそ勇敢な男である。本作でもこれに類する男性性の再定義は行われ、夫はレジスタンスであり妻の情事と懐妊を知ると身を引き彼女を間男とともに海外へ逃がそうとする。ヒロインがここで『お茶漬の味』の木暮実千代のように佐分利に惚れ直し間男がかませ犬にすぎないのであればフィクションの作法に適う。この話では復権した夫は不倫に燃え上る妻を変えられず、かっこよくなりすぎた彼の処遇が創作の課題になってくる。
キャラを都合よく作りすぎたら後始末は大変だ。夫に対する本作の処遇は三文小説のように冷酷である。夫の活動は管理社会を崩壊に導きその途上で彼は落命し不倫は勝手に片付く。ヒロインが危急に陥ればミソジニストの権化のようなセキュリティもレジスタンスだったと判明する。お膳立てはもっぱら男たちの仕事でヒロインは事件の担い手にならず社会時評ばかりやる。これは政治小説でもSFでもなくあえて分類するならハーレクインだろう。