サダヲの赤血球が肝臓で同胞の死を目撃する。サダヲであろうと芦田愛菜であろうと体内宇宙はディストピアだ。細胞には職業選択の自由はなく、愛らしい血小板も実写化すれば労基署真っ青の児童就業である。赤血球は仕事しかない人生に意味を見失いIDクライシスに襲われている。黒と白のディストピアにはだからこそインフラ業者を讃える地獄のような喚起力がある。
赤血球の要求は自由と永遠であり、がん細胞はディストピアの体制を破壊して自由を、不死化によって永遠を手に入れようとする。この試みはもちろんうまくいかない。
細胞たちに永遠は可能かと問わせるのは正統派人類絶滅SFの構想である。作中で模索されるのは『七人のイヴ』のような人類全滅の災厄を乗り越えるアイデアである。公共概念に目覚め献血車に駆け込むサダヲによって赤血球が宙間移動し、サダヲらのパフォーマンスが愛菜の免疫機構に助力する件では、宇宙の断絶を乗り越える処方が前駆的に検討されている。
赤血球はがん細胞と同じ結論に至る。時制を失えば永遠は達成されるだろう。ただし、あくまで生命の延長にこだわるがん細胞とは逆に、インフラ業種である赤血球は事物に親しむ境遇にあり、関心は事物化に向かう。モノには時制がない。
細胞が全滅し無人となった愛菜の体内に造血幹細胞が臨場する。それがコーカソイドの子どもの形姿をしているのはナイーヴすぎるが、彼女は地上の方々に散らばる細胞たちの抜け殻を祝福して回り、彼らのがんばりを讃える。ここで観測されているのは徳と呼ばれる現象である。徳は生命を事物化する媒質と考えられる。細胞たちの抜け殻は彼らが事物に帰った姿にほかならない。反自然の行為から生じる徳には時制を脱落させやすい性質があるために、事物化への仲介機能が備わっている。
造血幹細胞移植をオチとする展開では細胞たちのがんばりは無駄に見えてしまう。むしろ放射線照射で全滅するのが仕事になり、医者が後日談でエクスキューズしなければならないほど、本来業務への細胞たちの執着がわからなくなる。ところが、徳の起動がカギになるのならば、無駄はしかるべき前提となる。無駄を要求する良心の声に殉じる人間たちには、徳に妥当する反自然行為の典型を観測できる。
照射を境にして愛菜の宇宙には断絶が生じている。新たに造り出された細胞たちには、この宇宙にかつて存在した地上の記憶はないのだが、彼らのひとりが古びた段ボールを開封したとき、われわれはAE3803が宇宙の断裂を乗り越えたことを知るのだ。泣け。