仮文芸

現代邦画・SF・経済史

『ラストマイル』(2024)

愛郷心が製造業の奨励と結びつくのは洋の東西を問わない。Rural Rides(19世紀初頭のイギリス紀行)では商人が糾弾の的となる。農民や職人の成果物を左右するだけで利得する商人にウィリアム・コベットは反ユダヤ主義を爆発させる。


ラストマイルにおいて”ユダヤ人”に相当するのがAmazonである。語り手の商人観は受け手のパトリオティズムに訴えるべく、配役をマンガのように偏らせる。食物連鎖の頂点に君臨する本社の上司は白人の若い女である。末端の配達員は火野正平をはじめとする美事にきたならしい老人とオッサンばかりで、女性配達員の比率はおそらく現実を反映していない。オッサンたちは現場の窮状を訴える。外資満島ひかりはヤマトのサダヲを責め続け、彼の全場面に催涙効果を付与する。


が、変なのである。


オッサンらの訴えが具体化したとたんに違和感が襲う。火野は賃下げの歴史を回顧して、遠くまで来てしまったと嘆じる。インフレ社会の戻った現状に対して、この訴えはかつてほどには響かないだろう。精神的ブラック労働に遡及していくテロの原因は、デフレ社会が早くもわからなくなりつつある昨今ではアナクロに見える。インフレ社会のつらみはデフレのそれとはおのずと違ってくる。


語り手はおそらくアナクロに自覚的であり、元凶となったブラックの内容はぼんやりとしている。具体的にすれば火野の嘆じのように彼我の社会的条件の差が明らかとなり、共感の獲得がむつかしくなる。代わりにインフレ社会への帰還を利用するのがパトリオティズムである。


インフレではモノが優位になる。劇中では輸送手段の実体を所有するヤマトの賃上げ交渉にAmazonは屈し、究極には”ヒノモト電機”のドラム式洗濯が爆弾を包摂して製造業賛歌が結実する。しかし、これでは歴史の単なる俯瞰に終わってしまうため、交渉による現場の自助が社会を変えたと満島に解釈させている。マクロ環境に人為は効くのかもしれない。そうであってもその営みを観測するレイヤーに本作の現場はふさわしくないだろう。


デフレとインフレのかけ違いは作中の人物たちの行動や心理にも変調をもたらしている。中でもその直撃を食らうのが満島である。彼女の芝居はすべてにわたり不自然でわざとらしく、そこには彼女が黒幕だと思わせたい含みは確かにある。誤導が始まれば岡田将生の視点で話を交通整理すべきだが、満島の視点に拘泥する場面も減るとはいえ存続し、内面不明な人物の視点でものを見るロジカルエラーが混乱を招く。


満島自身が実のところ混乱している。彼女の任務は社内政治の遂行にあり、これにテロが絡むのはアクシデンタルにすぎない。スピンオフのおかげで肥大化した警察関連の情報量には満島のあいまいな立ち位置を糾弾する効果がある。危機感を覚えた満島は、現場が工夫してブラックを克服せよと末端のオッサンらを叱咤する。前述のように彼女の社会経済観はマイクロだ。現場によるデフレへの過剰適応がブラックの一因ではなかったか。それでは、現場の自助は不可能なのか。


自助に責任をともなわせる人倫の感覚が、犯人を最後の行為へ至らせたように見える。私情と社会要因をあえて切り分けず、何が男をベルトコンベアへ跳躍させたのか詳細は曖昧にされ、したがって犯人の最期が曲芸的に見えるほど犯罪の動機は地に着かない。女はただテロを起こした自分を罰しながら、マクロ環境に埋められた身もふたもない自罰の構造を指摘するだけである。もし政治経済体制の変更に自助が効くのなら、デフレの原因は有権者の無能力に帰せられてしまう。そのとき、火野らの嘆じは自罰として合理化されてしまうだろう。