医者にお使いイベントをもたらすのは、行方不明になった認知症の患者である。物語のヴィランとなるのは、このミッションを妨害する人的要因である。癇癪持ちの娘が往診に出ようとする母に同行を強要する。
運送屋にとってもヴィランは似たように立ち現れる。給油所のポンプは”エシカル・アース”にハッキングされ給油が妨害される。集荷に向かえば牧場はヴィーガンのデモ隊によってロックされている。医者のアウディは何者かにハックされ、彼女を打ち捨ていずこかに去ってしまう。社会風刺によって敵は西海岸と呼ばれる文明そのものへと拡張する。その先には、好悪を超えた自然としての山火事があり、医者と運送屋の任務に時間制限を課している。
山火事に対する娘のスタンスは他責的だ。母が山火事を難ずると大人が地球をいわしたと応じる。他責はヴィランのしぐさだが、山火事を世代間の分断に置き換える試みはヴィランは相対化する。医者は夫の多動に耐えきれず離婚した。娘も父の多動を継承したと考えれば、彼女もまた多動の犠牲者と解せる。
夫は自分の多動を内省せず、投機を生業にしてマイクロな諸悪の根源を担う。娘が父をサルベージすべくアウディをハッキングしていた顛末も、娘を相対化して父にヴィラン役を押し付ける効果があるだろう。マクロなヴィランを担う西海岸文明は、運送屋がトム・ハンクスのカニバリズムと遭遇して、いよいよ風刺の的めいてくるが、これを相対化させるのが野菜で作られたフェイク人肉であり、同時にそれは医者の夫の投機を失敗させるアイテムをも兼ねる。読後感には懲悪の含みが出てくる。
医者の抱える人生の課題を最終的に発見するのも人間や社会を立体化する作業だ。母はまだ父を愛していると娘は理解している。しかし妻は夫の多動に耐えられそうにない。中和の作用は俯瞰の嘆じを超えたジレンマとなって文芸化している。