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近世の人為的な人口停滞




The Cambridge Economic History of the Modern World: Volume 1, 1700 to 1870 (English Edition)黒死病以前におけるイギリスの人口動態はマルサスの想定にかなった挙動をしていた。マルサスの世界観では一定の土地が養いうる人口には限界があり、土地が増えない限り人口は頭打ちになる。イギリスの人口は黒死病以前にすでに収容限界に達していたと考えられる。人口は停滞し一人当たりのGDP (豊かさ)にも大きな変化がない。黒死病は人口減をもたらし逆に一人当たりのGDPを大きく増加させた。人の減少で一人当たりの耕地面積は増加し、方々にできた空き地は農民に逃散の選択肢を与えた。領主は搾取ができなくなり一人当たりのGDPは向上した。


ところが、200年を経て人口回復が始まっても一人当たりのGDPが落ちてこない。黒死病による人口減で達成された生活水準は維持され、イギリス社会はマルサスの想定から逸脱してくる。17世紀に黒死病以前の人口を回復し再び収容限界に達すると、あろうことかGDPは増加に転じる。


理論の上では人口が増えれば一人当たりのGDPは減少する。減らないとすれば、何らかの原因で人口の収容力が増加している。人口停滞にもかかわらず増加する17世紀以降のGDPは人口収容力の余裕を示唆しているが、マルサスの理屈では放っておけば収容力の限界まで人口は増えるはずだ。そうでないのなら、人口が意図的に抑制されている可能性がある。


これ以上土地がない条件下で人口の収容力を上げるには単位収量を増やすしかない。土地を改良して収量を増やすのは息の長い投資である。社会に余剰がなければ長期の投資はむつかしい。しかし、収容限界に達した社会の家計は、長期的投資に向けられる余剰を産出できない。余剰があれば人口は増加し余剰は食いつぶされる。この袋小路から脱するには、マルサスの限界に達する前に人口を人為的に停滞させて家計の余剰を持続させ、長期にわたる投資の費用をねん出する必要がある。


18世紀の日本においてもイギリス同様に人口停滞と一人当たりのGDP増が観察された。これもまたマルサスの限界に達したのではなく人為的な人口停滞と考えられる。英日で発生した人為的抑制をもたらしたのは出産年齢の上昇である。


イギリスでは黒死病による人口減の結果、一人当たりのGDP(豊かさ)が増加して乳幼児の死亡率が低下した。多産のインセンティヴが減じたために出産年齢が上昇した。日本では17世紀の人口増は大開墾の産物であったため、一人当たりのGDPをさほど低下させず、維持された生活水準は乳幼児死亡率の低下と出産年齢の上昇をもたらし、18世紀の人口停滞を準備したと考えられる。





マルサスの想定下では人口増は一人当たりのGDPを毀損するため、人口増を止める方策がポイントとなった。反対にスミス的成長下では人口増は一人当たりのGDPを増加させる。人口増による需要拡大は分業による生産性上昇のインセンティヴになる。生産性上昇は許容できる人口を拡大し、これがさらなる需要を作り出すスパイラルが実現する。