欧州を議会の起源にしたのは、諸国を不断の緊張関係に置いた地理的環境である。議会とは課税承認の場であり、武力衝突をともなう度重なる摩擦によって大きな財政的努力を強いられた国々は、負担能力のある貴族たちの好意を当てにするほかなかった。君主は租税の増額と規則化を要求し、代償として貴族たちは特権の増大を要求した。欧州の地理は貴族たちに君主を鞍替えする抵抗権を可能にしていた。じっさいにドイツ騎士団から離反してポーランドに鞍替えしたプロイセンの貴族がいた。君主は妥協を余儀なくされ、君主の統治に参与する権利を貴族たちに与えた。その最たる特権が課税承認であった。
イギリスとフランスの議会制は、14~15世紀に両国の勢力圏を画定するためおこなわれた長期の戦争のあいだに、とりわけめざましく発達した。北欧諸国のそれは15~16世紀の諸闘争の中で、ポーランドのそれはドイツ騎士団およびロシアとの戦争の期間に、ハンガリーのそれは隣接する南スラヴ人諸国との闘争の中で発達した。ドイツ諸領邦の議会制は15世紀における帝国内部の諸闘争の中で育まれた。
ハンガリーがトルコと戦った際、あるいはスペイン諸国家のムーア人との戦いには、貴族特権の承認がそれほど多く見られなかった。異教徒との闘争は自己保存の本能に依存できた。同じ機制は選挙を先送りするウクライナ議会にも働いていると思われる。
外敵の脅威に由来する財政負担が皆無だったために、同じ封建制でありながら近世の日本では議会制の発達を見なかった。議会をもたないために課税率が低く、行政の財源をねん出できなかった幕府は行政機能を住民の自治に依存した。インフラ維持を委任された村落は代わりに独自の徴税権を行使した。熊本藩の村落では百姓身分の役人たちが常勤して行政事務を処理した。江戸では鳶が通りを清掃し橋や井戸を修理した。それらの費用は大店が負担した。欧州と同様に日本に議会をもたらしたのはミリタリズムである。外圧によって常備軍を整備する必要が生じ、その財政負担を可能にするために議会が開設された。近世に鳶が担ってきた都市インフラの維持も国家の仕事となった。明治国家で消防団に改組された鳶は徒党を組み興行・脅迫・抗争・政治活動に手を染めるようになった。彼らは元来そういう集団だったのだが、行政が強制力を占有するにともない徒党認定されたのである。
話を欧州に戻す。
議会制は君主の裁量を制約するために、君主には常にそれを廃するインセンティブがある。議会制による課税を通じて君主は長い戦いを続けた。ところが戦争が諸国家の境界線をほぼ確定させ戦争の頻度が低下すると、絶対王政が萌芽し議会制は各地で衰退に向かう。
絶対王政とは貴族議会を回避しようとする君主のムーヴである。スペイン王は南米から流入する銀によって、フランス王は租税に代わる財源として売官を発明して、貴族に対する財政依存から脱し自律した。さまざまな偶然が交錯しイギリスにおいてのみ議会制は存続し発展した。イギリスの領有した北米は貴金属を産出せず大した財源とはならなかった。島国であるため大陸諸国と比べ軍事負担が軽微だった。何よりもイギリス王は議会を恐れる必要がなかった。王の裁量が重篤に侵害されたと感じたとき、彼は一声で議会を解散できた。これはスペインやフランス王には到底望めない力である。
君主が貴族に優越しないために苦肉の策として生まれたのが絶対王政であった。逆にイギリスでは外征王朝の支配によって貴族の力が著しく損なわれたため、王は議会の存続を許容できた。議会制は強い君主(行政府)を前提に発達した制度なのである。したがって、民主主義を根拠にして議会の権能をいたずらに拡大し行政府の自立を損なえば、議会制度はかえって不安定化すると考えられる。
スペインやフランスと異なり租税に代わる財源を見つけられなかったスウェーデンでは、議会が行政府を吸収する事態となった。18世紀の「自由の時代」、スウェーデンの内閣は議会の単なる行政委員会にすぎなくなり、諸官職をメンバーに割り当てていった貴族によって、フランスの売官制のように官僚団はむしばまれていった。
ゴールデンバウム朝と自由惑星同盟は見かけの制度的には正反対ではあるが、抱えていた課題は同じだったと思われる。両陣営ともスウェーデンの議会主義のように行政府の自立が立法府(貴族)に脅かされ、行政機能をいちじるしく損なっている。門閥貴族を打倒して行政府の裁量を回復させたローエングラム朝に自由惑星同盟が抗せなかった顛末は、官僚団を率いたマケドニアの君主制にギリシアの都市国家がなすすべもなかった史実をなぞっている。