N・K・ジェミシン『オベリスクの門』

オベリスクの門 〈破壊された地球〉三部作 (創元SF文庫)事故で月が長い楕円軌道に放り込まれた。気候変動で文明は崩壊し人類は全滅の危機に瀕している。科学が退化した代わりに核兵器級のサイキックが社会を構成している。『新世界より』を思わせる世界観である。両作とも破壊力ゆえにサイキックが忌避され、能力の制御が社会の課題となり、先史文明の活用が災厄解決のカギとなる。


本作のヒロインはもっぱら、当人ではなく周縁の人物に読者を移入させるために活用される。彼女たちは先史文明のオーパーツをサイキックで動作させて月の軌道修正を試みる。この過程で行われるのはヒロインを対象にしたキャバクラ説教である。読者が自分を師匠キャラに見立て鼻腔を膨らませていく趣向だ。


様々な師匠キャラが作中に投入される。冒頭は、挿話に過ぎないのだが、ガラス職人の身の上話から始まる。この女は流浪の伝承学者に恋をして出奔したのち棄てられる。女を弄ぶ文系に読者は自分を投影してさっそく鼻腔を膨らませる。


本筋で自己投影の最たる対象となるのは前作『第五の季節』に引き続きヒロインの師である。彼はサイキック階級の最高位に君臨する。月を軌道に戻す課題が師の無双する見せ場を次々と作る。死病の床にある彼はヒロインに軌道改変の技を伝えようとする。ヒロインは師の技の精度を嘆じ自信を無くす。


サブプロットではヒロインの娘の話が並走する。そこでも師弟関係が設定されている。守護者という属性がある。守護者は提督でありプロデューサーさんでありトレーナーである。地球を壊しかねないサイキックに抑止の術を仕込む教師である。道を外れたサイキックを仕留めるために彼らは謎武術を習得している。サブプロットでヒロインの娘は守護者の庇護下に入る。守護者に自己を投影した読者の鼻腔はたちまち膨れ上がることだろう。


投影対象としての彼らには不備がないわけではない。サイキックも武術も多くの読者にとっては縁遠い属性であり、ここに気を取られてしまえば鼻腔は萎みかねない。作者は投影キャラの投入にあくまで貪欲だ。冒頭の伝承者のヴァリエーションが登壇してサイキックならぬ一般人読者の欲望の需要に応える。


青年医師(脳内配役吉岡秀隆)は自信とモチベーションを失ったヒロインを説諭する役回りだ。サイキックならぬ吉岡秀隆は知性においてヒロインに優越する。『新世界より』と同様に吉岡秀隆に由来する鼻腔の膨らみにはオカルトvs.科学(先史文明)の構図がある。先史文明は属性の広がりゆえに読者が最も容易に自己を投影できる対象である。そのオーパーツの威容にヒロインたちが嘆じるたびに、先史文明に属する読者の鼻腔が広がるカラクリである。吉岡秀隆は技術者であるために先史文明に連なる存在なのだ。


前作において先史文明の相当するのが海賊島である。カースト社会を生きるヒロインは海賊島で営まれる近代社会を嘆じる。海賊島は読者投影物の頂点にある。海賊島の長にヒロインの師は精神的に従属する。無双キャラは相対化するのが作法である。無敵すぎては投影対象から逸脱しかねない。他方で投影物の属性が希薄になればそれだけ多くの読者を包摂できるだろう。文明や社会そのものが投影物の頂点に君臨するのだ。


前作の師と海賊の関係を本作は継承する。彼らの関係性は管理職と技術職の図式に普遍化される。どんなサイキックであれ技術職に過ぎない。世を動かすのは管理職である。ここにサイキックならぬ読者が鼻腔を膨らませる余地が生じる。


ヒロインは身を寄せたコミューンの政治に巻き込まれ、政治家という究極の管理職と遭遇する。月の軌道を云々してきた本作が行き着くのは出エジプトのような政治劇である。コミューンの危機に対応する政治家の挙動がヒロインの目を通して観測される。


技術論から政治へ課題が移行するにともない、ヒロインの人生の課題が定義される。社会の運営に参画できない技術職のくやしみをヒロインは「サイキックはカモにされ続ける」と評する。最終的な課題はヒロインの自立にある。彼女はサイキック能力を使い群衆統制と専制を試みるのだった。


管理職ならぬ読者にはこれはこれで鼻腔を萎ませかねない展開だが、そこですかさず吉岡秀隆にたいする恋の芽生えがヒロインに観測される。悪辣な手管だ。