仮文芸

現代邦画・SF・経済史

レベッカ・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』

バベル オックスフォード翻訳家革命秘史 上 (海外文学セレクション)19世紀の産業社会に魔法を混入してスチームパンクにする効用が不明瞭である。魔法の効果は、乗り物の速度を上げて下水の流れを円滑にするといったインフラの改良にとどまり、既存の産業社会のあり方を変えるようなインパクトをもっていない。魔法の導入は語学小説の手段にすぎず、世界観においては必然性がとぼしい。


魔法運用のために語学生が動員される人文ロマンは、読者層を想定すればマーケティングとして正しい。しかしこの構想は読書階級のエリーティズムと表裏一体であり、グローバリズムを収奪の形態とみなす作品の政治観と矛盾をきたしている。清国から英国にやってきた青年がこうむる様々な差別のディテールや無学な貴族の子弟に青年の学識を羨望させる場面からからうかがえるのは、庶民をはじめとする非読書階級にたいする嫌悪である。産業化を悪とみなし失業する労働者と連帯しようとする筋はそのエリーティズムと軋轢を起こしてはいないか。


大人たちの植民地観を断罪する青年たちの口調にはアナクロの響きがある。現代の価値観に汚染された彼らは他責志向にならざるを得なくなっている。


フランスからやってきた留学生は死者の負債で仲間を脅し、嫌がる彼らをパーティーに連れて行こうとする。彼女はヴィランだからその行為は不快であってしかるべきだが、植民地政策に抵抗する秘密結社までも、収奪の上であぐらをかく青年の良心を利用して加入を強いれば、ただ学究生活を眺めていたい人文ロマンを損なう彼らが憎らしくなり、ひいては結社の政治観そのものを拒みたくなってくる。


ヴィクトリア朝の人間はおそらく植民地支配に収奪の構造を認識しそれを否とする価値観に到達しうるだろう。問題はマルクス以前にしては収奪をはっきりと言語化してしまう点にあり、これにより若者たちが時代にそぐわない発想と行動に至ってしまう。19世紀前半に東洋から列強にやってきた留学生は、収奪の発想に至ったとしても母国の近代化を志向するのが通例であり、留学先でテロを起こすとなればマルクス以後めいてくる。収奪を現代人なみに概念化するために政治観が他責に走るのである。


作品が前提とする産業観も古臭く見える。作中では産業化が格差を拡大したとされる。実証ではそのような現象は認められていない。当時の労働者の苦境はマルサス的なものであり、人口圧が19世紀前半の英国社会を飢餓寸前に追い込んでいた。植民地化と産業化に抵抗する運動は労働者の利害に反する。食糧危機を解決したのは植民地と蒸気機関の組み合わせだからだ。こう考えれば、留学生たちの食道楽が作者の意図とは異なるかたちで無邪気に受け取れなくなる。


食料問題は別にしても外国人がインフラを破壊しまくり犠牲者まで出るのである。これではえん戦気分をもたらすどころか、逆にゼノフォビアを煽り収奪を加速させるだけだろう。青年たちの大義に共感して結集する労働者たちの様子を「なんという光景だろう」と自分で嘆じる作者は客観視を欠いている。


主人公が一時帰国して林則徐と邂逅する場面がある。彼はこのまま清にとどまり、林の片腕となって母国の近代化に身を投じるべきだった。林則徐に転生してしまって清の近代化を試みるなろうをやるのがジャンルの王道であり、英国でテロを起こす他責志向はジャンルに適さないのである。じじつ収奪を嘆じるだけで話は終わっている。