マンガ

倫理感の水準

冒頭がみちろう視点なのは少々イレギュラーであり、郷介に好意的なみちろうにも違和感がある(「その10ヤングメモリー」『えの素』)。父の卒業アルバムに若き郷介を見出した彼はその外貌を賞賛しつつ、現在の弛んだ郷介に激怒し、その肉体改造を試みる。明…

地上を概略化する誘導 「父兄運動会の巻」『じゃりン子チエ』

父兄運動会でヨシ江がリレーのアンカーをやることになった。ヨシ江は元陸上で足が速い。テツよりも速い。しかしチエは母の運動能力を知らない。自分の運動能力はテツの遺伝だとチエは信じている。テツは妻の俊足を娘に知られるのを嫌がる。チエを遺伝的に独…

はるき悦巳の映画術

『じゃりン子チエ』の2巻にチエがテツと映画館に足を運ぶ話数がある(「文部省選定映画の味方の巻」)。映画のタイトルは文部省選定『僕はまけない』。作中では映画の一場面が劇中劇として挿入される。 幼少のわたしは『チエ』の中でも殊にこの話をヘヴィロ…

阿部共実『ちーちゃんはちょっと足りない』

『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』のシーズン1に障害者の犯罪を扱った話数がある。障害者といっても犯人はボーダーに近いために自活している。回りも彼に障害があるとははっきりと認知していない。当人は自尊心から障害を隠そうとする。犯罪は過失に近い。他方…

フィリップ・クローデル 『ブロデックの報告書』

『沈黙の艦隊』にトロッコ問題を扱った話数がある。党首討論でアンカーが党首たちにトロッコ問題を提示する。 10名を乗せた救命いかだが漂流中である。 そこに1名の伝染病患者が出る。致死性である。 あなたならどうすると問われるのである。 不幸の総和を最…

徳弘正也 『狂四郎2030』

本作については連載中は熱心な読者ではなく、たまにスーパージャンプを立ち読みする程度だった。とうぜん筋は追えていないのだが、煽情的な内容が気になって、いつかまとめ読みをと思いつつもこれまで放置してきた。この正月、それをようやく果たせた。 シェ…

業田良家 「ペットロボ」『機械仕掛けの愛』

観測者が匿名でなければ尽力は実効的にならない*1。見られた瞬間に、尽力の実施者にも観測者にも下心が生じかねない。観測者は他人の善行を観測しておきながら、自らの観測に気がついてはならないのである。観測しているのはあくまで無意識であり、観測者に…

記憶のない梯子

自分への執着が高まると、人の物忘れに寛容ではいられなくなる。もしかの人にとってわたくしの存在が重きをなすのであれば、わたくしとの会話が忘れ去られるはずがない。したがって彼がそれを忘れたとわかると、わたくしには自分の価値が減じられたような気…

今週のThe Economistに島耕作さんが

島耕作は社内政治を軽蔑する若々しき能力主義者だ。かような人物が実際に現れるには、日本の労働市場をなんたらかんたら…… Business in Japan | Take a leaf out of his book | Economist.com DaaBoomさんのコメント 奴は60間近だぞ、どこがわけえんだよ。し…

吾妻ひでお『失踪日記』 [2005]

萌え娘の、多分に善意を含んだ造形がキモイわれわれを「キモイ☆」と評しないとなると不自然なイヤらしさ現れ、かえって彼女の品位を貶めるおそれがある。萌え娘の知性と常識が試されてしまうのだ。したがって、キモイといわなくても済むような風景がほしい。…

情報開示の効果とプロットの損益計算――『大奥』

あらかじめポジティブな顛末を開示しているプロットがそこに至る過程で悲劇を煽ると、スリラーの効果を損ないかねない。たとえば『13デイズ』('00)で海上封鎖に至っても、キューバ危機の結果は自明なのでスリラーの緩和は否めない。本作にしても、吉宗の代ま…

間瀬元朗 『イキガミ』

政治のハイブリッドは、たとえ整合性に欠けるとしても、物語の強度を損なわない限り認められてよい。 たとえば『犬狼伝説』の警察や軍隊関係者は、意地悪で大雑把な言い方をすれば、ナチっぽい格好をしている。ところが、ドイツに敗戦したとされる社会自体は…

綾瀬は俺の嫁である 『美鳥の日々』

人格に成長の感覚を施与したければ、彼女の視野を封鎖してやるのも一つの手であり、閉ざされた内面が彼女に強さを充填するはずだ。しかしながら、いきなり内面を閉鎖したとしても、その軽々しさが、前に触れたとおり、内面戦略にたいする信憑性を失わせかね…

高河ゆん 『LOVELESS』

信用できない内語の活用では、こちらの方がうまくいってるのではないか。草灯ってば、情報量最強の割にダラダラと内語を開放したりして、物語の享受に混乱が生じるのだが、かかる信用のなさが、大人の信用できない cool 感に接木できたように思う。感情移入…

花沢健吾 『ルサンチマン (4) 』 [2005]

男の中に機能的な身体が発見されて、love at once が発現してしまう過程は、ごく基本的な作劇の作法に留まるものであり、では、かかる機能的な描画とは如何に、という先々回の議論*1につながるものだ。われわれには、何か機能的なる性質に好意を抱いてしまう…