綾瀬は俺の嫁である 『美鳥の日々』

美鳥の日々 (8) (少年サンデーコミックス)

 人格に成長の感覚を施与したければ、彼女の視野を封鎖してやるのも一つの手であり、閉ざされた内面が彼女に強さを充填するはずだ。しかしながら、いきなり内面を閉鎖したとしても、その軽々しさが、前に触れたとおり、内面戦略にたいする信憑性を失わせかねない。語り手は内面の封鎖を強さの記号として使用していない、という想到が、内面戦略を無効にすることもあるだろう。われわれには、内面の封鎖とともにある種の過程や手順が必要だ。だが他方で、過程や手順のなだらかな描線も、成長の認知を阻害しかねない。変化が円滑なために使用前と後の比較ができないような、認知的なゆでガエルができあがる。
 人格の強度を実感するには過程が必要だが、手順が細やかに描画されてもいけない。したがって、成長へのかかる間隙を再現するためには、彼女を一定期間において語り得ないような、時間的な空白が欲しい。彼女は数話数にわたりフレームから遠ざけられねばならない。生き地獄なツンデレ循環の葛藤は、われわれの見えないところで処理される。




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 成長は事後的に確定された、といえるし、内面の封鎖がかえって内面を探らせ、われわれを昂奮のるつぼに突き落とすようにも思われる。内面が見えないことを以て信憑性を確保するのはごく自然なことで、そもそも(当人ですらも)それは言語の操作によって訓練され訓致されなければ見ることができない。




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 滅びるためには強度が必要だ。かませ犬というか当て馬にすぎない綾瀬にとって、獲得された強度は徒労に他ならないが、敢えて意味を探るのなら、そういうことである。だが、強度は強度だけにやっかいな物で、結果的に、物語の基本線にある美鳥の恋愛は、綾瀬の強度に絶えず脅かされている。「三角関係の敗残者は尽く俺の嫁」現象である*1


 余談ではあるが、自分は『時かけ』の真琴ちんがどうもよくわからず、これはやはり、早川さんが俺の嫁だろう――、千昭を諦めた寂しげな笑顔がたまらんのである、と感激を覚える。つまり、三角関係の処理を相変わらず誤っているように思われるのだ。ただ実際のところ、これが自分の特殊な性癖なのか、万人に広く共有され得る感覚なのかは、よくわからない。

*1:先回ふれた『遙かなる〜』のハナ肇もそうだし、卑近の例では留奈は俺の嫁(『瀬戸の花嫁』)