物語論

地上を概略化する誘導 「父兄運動会の巻」『じゃりン子チエ』

父兄運動会でヨシ江がリレーのアンカーをやることになった。ヨシ江は元陸上で足が速い。テツよりも速い。しかしチエは母の運動能力を知らない。自分の運動能力はテツの遺伝だとチエは信じている。テツは妻の俊足を娘に知られるのを嫌がる。チエを遺伝的に独…

死者に自分を奪われる

ミッドウェイ(2019)とID4リサージェンス(2016)に淀む湿っぽいセクシャリティは何事であろうか。オネエ顔のエド・スクラインがスペルマの飛沫のような曳光弾をかいくぐり飛龍の航空甲板の日の丸目がけて250kg爆弾を投じる。飛龍撃沈の引き換えに戦傷したスク…

内面を錯視させる

『狂い咲きサンダーロード』は人の成長を観測する物語としては変則的な作りになっている。正調の成長話であれば受け手に成長の過程を明示するものだろう。『百円の恋』(2014)では安藤サクラのジム通いを受け手は観察することができた。『狂い咲きサンダーロ…

歌舞伎『人情噺文七元結』

この有名な人情噺はハッピーエンドの幸福感を増幅させるために中盤の橋の場面でサスペンス感を設け、敢えて受け手にストレスを与える。しかし予め落語で筋を知って上で歌舞伎の本作を見るとなると、そのサスペンス感は減じると考えるのが普通だろう。わたし…

三人称に到達する

映画で視点にしたい人物がいれば排他的に彼をフレームの中に入れればいい*1。ダイアローグで台詞を受けている人物のバストになれば、われわれは台詞を受け止める彼の心象に否応なく引き込まれるだろう。では、対峙する二人が平等に画面を分かつとなるとなれ…

器質としての宿命

『砂の器』のリメイクがまことにうまくいかない。本家が達成した宿命の感じがリメイクの諸作あっては薄くなっている。加藤嘉にとってハンセン病は自分の責任ではなかった。つまり『砂の器』は責任のない事態への対峙を宿命と定義している。渡辺謙の2004年版…

守れなかった

ニューシネマの挫折感がすきだ。殊に『いちご白書』のそれがたまらんのであるが、しかし不思議なのである。『白書』は学生運動が頓挫する話であり、講堂に立てこもった学生たちが警官隊に排除されて終わる。特に人死にが出るわけもなく、ニューシネマ基準か…

アリアンナがかわいい 『ソーサリー』

アリアンナは頭のおかしな美女である。その家を訪ねると、檻に監禁された彼女から「エイルヴィン族に悪戯された、出してくれ」と乞われる。出してやるとお礼をくれるが、家を出ようとすると魔法で襲撃してくる、曰く 「アリアンナは、闘わずして大切なものを…

ラヴィ・ティドハー 『完璧な夏の日』

劇中で人が人に恋をする。この際、劇中人物とともに受け手も相手に恋をせねば、展開されるイベントを自分のものとして受け取れなくなる。男を惹きつけた女の属性は受け手をも惹きつけねばらならない。このことは究極的には次なる問いを呼ぶ。何を以てしたら…

聖なる愚者

『哭きの竜』の終盤は、『ゴルギアス』のような苦悶するハイモラルの物語だ。三下に過ぎなかった三上信也は急逝したトップの替え玉に祭り上げられる。彼は正体を知る幹部たちの口を次々と封じ本人に成りすまそうとするが、その過程で心身を失調する。不当な…

虚構に殉じる

Er ist wieder da は史実に準拠しない形でヒトラーの造形を設定している。ガレアッツォ・チャーノやゲッベルスの日記、あるいはヨアヒム・フェストの評伝で知ることができる史実のヒトラーは多動性障害の典型的な症例を呈していて、その印象は奇人というほか…

高慢を超えて 『踊らん哉』

失恋をした男の顔を如実にトレスすることで『秒速』のタカキが嫌な共感をもたらすように、男の好意を察知した女の顔を忠実にトレスすることで『言の葉の庭』のユキノがこれもまた嫌な共感を喚起する*1。御苑のベンチでタカオの好意を悟った彼女は、自らの優…

匿名の観察者 『一週間フレンズ。』

設定の受容について語り手と受け手の間にすれ違いがある。おそらく語り手は解離性健忘を主題として軽視している。しかし、受け手としてはそれこそが叙述されるべきものと認識している。このすれ違いで設定の受容に困難が来す。とにかく不自然なのだ。こうい…

格調とは何か 『イースター・パレード』

Steppin' Out With My Baby の間奏でやるアステアのハッスルがもどかしい。サル顔の貧相な男が人外のヘンタイ機動を行うグロテスクがアステアの魅力であるのだが、当該の場面ではアステアの挙動がスロー描画されることで、そのヘンタイ機動が封じられてしま…

コードウェイナー・スミス 『シェイヨルという名の星』

山本嘉次郎の『雷撃隊出撃』に文明オナニーの場面が出てくる。笙の調べに乗って、米国人の個人主義に比べて我が大和民族は云々と劇中の人物が文明批評をやり出す。これはつらい。所属する文明を称えてオナニーしたいのは拒み難い人情である。しかし、自分で…

ティム・パワーズ『アヌビスの門』

新たな状況にキャラクターを放り込むことで物語を始めるとする。状況は劇中の人物にとっても受け手にとっても未知であるから、状況説明の営みが不自然とはならず、物語への導入が円滑になるだろう。 この手の作劇には今一つの利点もある。新たな状況に対処せ…

涙を湛えて微笑せよ

男も女も互いの面識を失っている。にもかかわらず、愛の実効が二人の間で再現されてしまう。その際、恋が宿命であったことの強度は記憶喪失の度合いの関数である。記憶がないほど宿命的になる。 『明日の記憶』では、女についての記憶を失っている男は改めて…

補完される機能的色彩

劇中の人物が自分の正体を知る叙述文学の公式は、その冒頭において、自分が何者か知らないがゆえに当該のキャラクターから機能的色彩が欠落することがある。それは受け手のいら立ちを誘いかねない。 『叛逆航路』はバディ物であるが、キャラクターの無能さが…

失われた記憶と分岐する人格

記憶を喪失した人物が災厄に見舞われている。その災厄は、記憶を失う以前の当人が引き起こしたものである。しかし記憶を失った彼はそれと知らずして災厄と戦っている(『ヘラクレスの栄光III』『CASSHERN』)。 記憶の継続を人格の要件と見なす立場を採用す…

心情を焦点化する(2)

台詞を言っている相手のカットとそれを聴いている人物のカットがつながれば、受け側の心情が焦点化されやすい。ひとつの理由として、しゃべらない方が表情の操作がやり易いからだろう。 +++ 『ザ・マスター』の最後でホアキンとシーモアが会話している。…

童貞の恋愛決戦主義

岡田斗○夫は、ひとつの個体に執着することを交尾機会の損失だと考えている。異性を口説く際、5分で決めてくれと岡田は相手に迫る。この方略には、雄の自尊心を温存できるメリットもあるだろう。交尾相手の候補が他にあることを示唆することにより、自分が希…

心情を焦点化する

会話の場面においては、台詞が流れる間、誰の顔を映しておくのか常に問題になる。話しているキャラを画面に出すのか。会話を受けている相手の顔を出すのか。この配分で、どちらの心情を焦点化するか、あるいは突き放すか、コントロールすることができる。 マ…

庶民賛歌を科学する 『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』『模倣犯』

『寅次郎恋やつれ』のラストは少々気まずい。文豪の宮口精二が、とらや住人と邂逅しているのだが、両者ともまるで別の世界に住んでいるため、宮口の娘である歌子を共通の話題にしながら、ややぎこちなく対話を続けるしかない。ここにタコ社長という、更なる…

超時空参謀・辻ーん、ならびにキャラの淘汰圧を不可視化する話 佐々木春隆『長沙作戦』

『長沙作戦』の佐々木春隆は思わぬ場所で辻ーんと遭遇している。南京の派遣軍総司令部に申告したところ、総司令官と総参謀長に続いて訓辞をしたのが、辻ーんその人であった。佐々木はその様子を「怪漢が演壇に躍り出て熱弁を振るい始めた」と記している。中…

属性主義は造形を発見する

愛の始まりに不自然があっても、それを遡及的に追認することはできるし、その意味で、『セカチュー』の長澤まさみは観鈴ちんと似ている。女の痴性を媒介にして始まったその恋は、受け手の劣等感と警戒心を煽ることなく、自然な状況として受け入れられる*1。…

人格性耐久レース 『容疑者Xの献身』

人格性耐久レースとは、キャラの造形の一貫性を願わずにはいられなくなる受け手の態度から生じるもので、たとえば『ダークナイト』のジョーカーや『模倣犯』のピース、あるいは『まどマギ』のQBに感情移入すると、語り手にとっては時に想定外のスリラーが、…

ループを実感したい 『魔法少女まどか☆マギカ』

イベントを繰り返すほむほむには、動機を醸造する事件の厚さがある。ほむほむ視点で見る限り、まどかも事件を繰り返すのだから、ふたりは事件の厚さを共有しているような錯覚が出てくる。しかしまどかにとって事件は常に初見である。 まどかに経験の蓄積があ…

イベント再現 + 忘れ形見メソッド

アヴィーロワの回想記に晩年のチェーホフとモスクワ駅で邂逅する件があって、発車間際の列車の中で、チェーホフは彼女の娘を膝に抱き上げ、親しげにその顔をのぞき込んだりする。 そこから遡ること十年ほど前、二人が初めて対面したとき、彼女を人妻だと知ら…

夢見る設計主義を箱庭療法の手段として割り切りたい気分が前提としてあったと思う>チェーホフの果樹園

ヤルタに移住したチェーホフは、荒野から切り開かれた自邸の果樹園が、数百年後に地上を花園に変えると夢想する。しかし、当人はそれを見ることがない。それどころか肺病で死にかかっている。だとしたら、なぜ彼はバラの手入れや花壇の草むしりに勤しむのか…

『耳をすませば』でワナビ脳と恋愛の希少性を考える

恋愛に自分の希少性を見て安寧を獲得する戦略は、排他的であるがゆえに脆弱である。当事者でない限り、ノロケ話から希少性の実感を引き出すのはむつかしい。ワナビ脳に比べれば社会的な担保に欠けると思われる。 既述であるが、普段の生活において恋愛とワナ…