映画

フラストレーションから解放される笑い 『マルタイの女』

クレオパトラの舞台が初演を迎える。宮本信子の警護のために西村雅彦はモブのプトレマイオス兵役で舞台に立つはめになる。西村の技量に不満のある宮本は、警護とはいえやるからにはちゃんとしろと西村を叱咤する。実務家の西村は女優という虚業を普段は軽蔑…

『百万円と苦虫女』(2008)

三つのオムニバスそれぞれで問われるのは、不快な相手に対して受け手に好意を抱かせる技術であり、人格発見の古典的な手管である。海の家でナンパしてくる男(竹財輝之助)は不快である。受け手が男を好きになるのは、子どもへの彼の接し方を通してである。…

『流浪の月』(2022)

男運がつくづく悪いのか、それとも不幸を招く力に取り付かれたのか。広瀬すずは未成熟な男、横浜流星に捕まってしまったのだが、松坂桃李に共感してしまうと広瀬は女難と化す。松坂の幸福を案じるのならそっとしておくのが妥当であり、カフェに入り浸るべき…

志麻、心のむこうに

岩下志麻の極妻のなかでは五作目の新極妻が最も取っ付きやすいのではなかろうか。入門編には最適だと思う。一作目は極妻というより五社英雄の怪奇映画である。岩下復帰の四作目で事態を動かすのはかたせ梨乃であり、岩下は事態を傍観するばかりである。 新極…

『牯嶺街少年殺人事件』 A Brighter Summer Day (1991)

台湾撤退というエクソダスが前提としてある。敗戦して島に逃れた男たちはマクロ的に集団去勢されている。大人の事情とは別に少年たちをミクロな去勢が次々と襲う。少年は進学に失敗し、友人に女を寝取られる。歌謡曲をソプラノで歌う少年は生来的に去勢され…

スペルマは天城峠を越えて

「やさしくしないで」はかなしい。花苗の想いは男の何かに届きはした。背後で打ちあがるH-IIは射精の暗喩である。ところが、届いたからこそ少女は想いが絶たれたと知る。発射されたスペルマは自分には向かってこない。天空を目指して飛び去ってまった。男は…

『SR サイタマノラッパー』(2009)

モブからメインに至るまで、造形の出力する情報量は膨大である。低廉な絵の質感がこれを受け止められそうもない。貧しくなるほど郊外の情報量は豊穣になる。青年らはその背景に埋もれようとしている。郊外の情報量とは無秩序の産物である。そこから逃れるべ…

原罪の創生

喋血雙雄(1989)の結末は呉宇森の異常性が発揮された最たる場面である。現職警官に投降者を射殺させてしまう。その際、ダニー・リーがサイコ扱いされることはない。フレームは彼の顔に寄り、むしろ受け手は彼に移入するよう強いられる。 前に言及したが、ダニ…

ギョッとした話

『ちょっと思い出しただけ』(2022)の池松壮亮には行きつけのバーがある。店名は「とまり木」、マスターは國村隼である。序盤でバーが初出の際、カウンターの向こうに鎮座する國村を認めてギョッとした。むろん、池松はギョッとしたりしない。この世界の國村…

訣別のための成熟

初のオフ会である。やってきた長澤まさみは様子がおかしい。ニタニタしながら男の躰を触れ回り、媚び声で容貌を褒めそやす。ギャルゲの白痴ヒロインそのままである。これは何であろうか。長澤の媚びは森山未來への好意に基づくのか。それとも彼女は単なる痴…

『ちょっと思い出しただけ』(2022)

恋愛の発端から終焉までカバーした『花束みたいな恋をした』(2021)と比較していい。『ちょっと思い出しただけ』は破局の契機が明確である。池松壮亮は怪我でダンサーを続けられなくなった。『花束』には破局に至る決定的なイベントはない。それだけに、破局…

イージー・ライダーを見返す

イージー・ライダーは頻繁に見返している。もっとも、It's Alright, Ma から 「髪を切れ」の件だけを流してキャッキャしてるだけで、全編通したのは学生以来じゃないか。SD画質でずっと見てきたので、BSでやってたのを画質目当てで録画した。画質は残念だっ…

『零戦燃ゆ』(1984)

60年代の戦記映画を知る者にとっては、冒頭からすでに隔世の感がある。搭乗前には機体の視認がなされ、几帳面にチェックリストの手順を踏んでエンジンが始動する。原作の理系指向もあるが、20年前の戦記映画には望むべくもない解像度である。 しかし、加山雄…

『鍵泥棒のメソッド』(2012)

結婚観のブレが筋の構造を軋ませている。恋愛を特権視するのか。家庭を法人視して恋愛の有無に重きを置かないのか。 広末は恋愛主義者に見える。他方で姉の小山田サユリは結婚生活を破綻させつつある。彼女の存在は広末の結婚観を留保する。恋愛を経た結婚か…

長回し考

『ヤクザと家族』の綾野剛と舘ひろしが車中で惚気話をしていると刺客に襲われる。この場面が気に入らない。バイクが後方から来て並走する。ライダーが銃を構える。舘を狙う銃口を認めた綾野が身を呈して舘を庇う。発砲。車は路駐車に激突して停止。これがワ…

『シン・ウルトラマン』(2022)

特撮に関心がなくとも、現代邦画ファンには注目の作であろう。樋口真嗣の本編演出にあろうことか長澤まさみを配役したのである。この狂気の沙汰を理解するにはいくばくか言葉を費やす必要がある。 特撮ファンならぬ邦画ファンにとって樋口真嗣とは何者か。イ…

『パーフェクト・ケア』I Care a Lot (2021)

女性主義を邁進するほど逆に女性嫌悪を煽られる構造は意図なのか誤算なのか。受け手であるわたしに原因がないとはいえない。しかし客観的な要件もある。敵対者がホワイトトラッシュと小人症の、いずれも社会的あるいは身体的にオス性を喪失した男たちである…

『燃ゆる女の肖像』 Portrait de la jeune fille en feu (2019)

画家にもモデルにも顔に違和感を覚える。その正体がわからない。 画家が肖像の依頼を受ける。過去にその女の肖像を試みた男がいたが途中で頓挫している。顔のない肖像画が残された。どんな顔貌なのか、いよいよ興味が惹かれるが、画家が女と対面しても背中を…

『運命の逆転』 Reversal of Fortune (1990)

ジェレミー・アイアンズの犯意をぼかすためにこそ、彼の内面は受け手に開かれている。内面が駄々洩れならば犯意も明るみになりそうだが、その思い込みが逆に犯意の隠匿に用いられる。内面が明らかなキャラだから犯意はないに違いない。 しかしながら、隠し事…

『好きだ、』(2005)

作者の邪念に迎合するように宮﨑あおいは媚びに没頭する。それが媚びになりそうでならないのは、徳なのか何なのか。この人の視線は内包する媚に突き動かされるように一定しない。不安定な願望が内容のないショットをどこまでも持たせてしまう。 『害虫』の塩…

『K-20 怪人二十面相・伝』(2008)

本作の舞台は対米戦が回避されたif世界である。総力戦がなかったためにアンシャン・レジームは温存され社会の階層化が進んでいる。本作はその是正を訴えるのだが、戦争がなかったゆえの社会問題だから、一見すると総力戦願望になりかねない。 偶然が事態を動…

『ドライブ・マイ・カー』(2021)

冒頭から尻と喘ぎでナルシシズムを剥き出しにする西島。随分と挑発的なシナリオではないか。数多の演出家たちが、西島のナルを扱いかね討ち死にしてきたのだ。三浦透子もまことにイヤらしい。この長門有希ちゃんは文庫本を読みながら西島の帰りを待ち受ける…

『聖なる鹿殺し』The Killing of a Sacred Deer (2017)

これでは元ネタであろうCUREを高からしめただけではないか。広角ロングで事態を観測する第三者のまなざしが話の視点をうつろわせる。主にコリン・ファレルの視点で叙述されていた事態が中盤になるとおかん(ニコール・キッドマン)によって目撃されるように…

『空白』(2021)

『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(2013年)がそうだった。不安になるほど人物の類型化が過ぎる。古田新太も寺島しのぶもマンガのような人々である。彼らについては、さすがに類型性を留保する描写はある。“啓蒙”聖人の寺島は鈍臭いボランティア仲間には癇癪…

『孤狼の血 LEVEL2』 (2021)

中村梅雀の写ルンですが大写しになる。説明したい映画だなと思う。松坂が梅雀宅に招かれると、絵に描いたような団欒がある。梅雀に露骨な死亡フラグが立つ。これもまた説明癖だが効用もある。予想される梅雀の遭難が話を締める。 時代と言語の制約で冒頭が息…

『あのこは貴族』(2021)

これはタイトルがミスリードしている。冒頭で人々が会食している。彼らの挙措には違和感がある。あまり貴族していない。彼らが開業医の一家だとわかって事態が判然となる。貴族ではない。典型的な中産階級なのだ。 ムギムギと水原希子が階級をまたいで通じ合…

『るろうに剣心 最終章 The Beginning』(2021)

正調の時代劇に近づくとかえってコスプレ劇の血が騒ぎだすのか、やってることは『翔んだカップル』と変わらない。路上で失神した巴など打ち捨てておけばよいものを、やはり性欲に抗えず拾ってしまい押しかけ女房される剣心。怪我にハンカチイベント。部屋に…

『るろうに剣心 最終章 The Final』(2021)

前回の求婚を受けて、冒頭から剣心を意識しまくりな薫殿であったが、薫殿が嫌いなわたしにとってはこれが実に悩ましい。かわゆいのである。剣心の方は昔の女を思い出してしまって、薫殿は放置される。これはよい兆候だ。捨て置かれた薫殿はヒートアップする…

『アウトポスト』 The Outpost (2020)

沖縄のシュガーローフヒルでは海兵隊のオフィサーは15分ともたなかった。小隊長はトイレットペーパーのごとく交代していったそうだが、ここまで極端ではないにしろ、本作でも大尉(中隊長)が次々と斃れ消耗品の如く交代していく。結果、劇中で計4名の中隊長…

『タンポポ』(1985)

個々人に近代の心性が芽生えるプロセスに着目した90年代の伊丹作品に対し、本作は近代をより文芸的に捕捉しようとする。近代に至ると人はどんな気分になるのか? 近代を美意識として捕捉していた60年代の作者の気分を引きずるのである。宮本信子が山﨑努らと…