哀切のアイロニー

男と楽しく会話を交わす園みどり(可愛い)を街頭で目撃した武田鉄矢はガッカリする。傷心の武田が飲み屋の暖簾をくぐると女将が倍賞千恵子で、これは如何にも出来過ぎていてギョッとする。園は薄幸の女である。実家のリンゴ園は破綻。両親も他界。


武田は嘆息する。


「哀れな女はなぜ奇麗なのか」


この問いに対して倍賞は感情の主体を入れ替えてくる。


「アンタが哀しい人だから」


綺麗ではなくそう見えるのであり、女ではなく男の方へ綺麗の原因が託される。


園のエピソードと並行して、武田は酒井和歌子親子と交流を重ねる。この二部構成は互いに関連がなく構成上の欠陥となる。


飲み屋の女将が倍賞なのは『駅STATION』(1981)のパロディであるが、銃撃事件が頻発するあの架空北海道のように、こちらの弘前・札幌も治安が悪い。強盗殺人や銃撃人質事件は日常茶飯事である。園の勤務先(リンゴ試験場)もなぜか襲撃され、園死亡。武田悲憤。ここで折り返しである。


この後30分に渡り、酒井息子のたけしに武田は蟷螂拳を仕込み始める。武田は悲しみを引きずらず園は話から消えてしまい、酒井の事情が前面に出てくる。二部構成は迷走にしか見えない。


酒井は薄幸の女である。夫と営んでいた酪農は破綻。夫は借金を残して自裁。酒井は借金取りに輪姦される。息子たけしの目の前で。札幌に流れた酒井は返済のために体を売り、挙句に強盗に誘われる。治安が悪いから事態は飛躍していく。


酒井の捕縛にやってくる武田。立ちふさがるのはたけしである。武田は冷静に弟子と一戦を交え、子どもをボコボコにする。借金取りに蹂躙される母を前にして幼きたけしには為す術がなかった。今、母を捕縛にやってきた男にたけしはボコボコにされる。またしても母を守れなかった。


たけしをボコボコにしながら武田にも泣きが入ってくる。


「早く強くなれ」


しかし、ここで彼は倍賞が行った感情主体の入れ替えをやる。


「男は強くなければ、大好きな人はみんな遠くへいってしまうんだぞ」



この『秒速5センチメートル』の武田鉄矢的解釈は事態の意味合いを多重露光する。奪われたのではない。当人の意志である。意志を伴わせることで、武田は事件を失恋として消化をしようとする。たけしのものと思われていた課題が恋愛一般に拡張され、「強くなれ」が園を失った武田の自責となり傷心の吐露となる。


弱い男が袖にされた。これでは研究論文である。剥き出しに語らない。直截的な断定を避ける。さもなければ文芸が現象しない。園は酒井に、「袖にされる」は「遠くへ行く」に置換される。武田の傷心がたけしに仮託されていたのなら、むしろ園と酒井の筋は関連をなくすべきである。真意が隠されるほどアイロニカルな効果が高まるのである。