2021-01-01から1年間の記事一覧

明里のジレンマと作家の誕生 『秒速5センチメートル』

大雪の岩舟で待ち続けたことで明里には造形上のジレンマが誕生した、と見てよい。惨劇は、タカキ君が明里の真意を誤解して始まったのだが、その思い込みに咎を負わせるのは酷なのである。待ち続けた彼女に好意を確信するのは自然であって、タカキ君にそう思…

ラジオ英会話考

昨今、食器洗いのお供にBBCワールド愛聴してきたのであったが、折り悪くプレミアリーグの実況に当ってしまうと、サッカーには門外漢のこちらには訳が分からず、果たして勉強になるのか不安になる。そこでラジオ英会話を聴くととして、余った時間をBBCに振向…

徳には時間の概念がない

後悔は不合理である。もはや取り返しがつかないのだから、それにクヨクヨしても徒労である。これは、徳が時を区別しないことの例証である。 カントは徳の実例にあまり言及しない。史記やプルタルコスを紐解けば、ギョッとする実例は枚挙のいとまがないのであ…

ヘンリー・ジェイムズ『モーヴ夫人』

貴族にあこがれるアメリカ娘がフランスの没落貴族と結婚する。娘の実家は裕福な中産階級である。結婚後、夫はパリに出かけ女を作りまくる。男の方は金目当てで結婚したのだった。 妻はサンジェルマン・アン・レーの見晴台で毎日黄昏る。そこにアメリカ男が通…

『あのこは貴族』(2021)

これはタイトルがミスリードしている。冒頭で人々が会食している。彼らの挙措には違和感がある。あまり貴族していない。彼らが開業医の一家だとわかって事態が判然となる。貴族ではない。典型的な中産階級なのだ。 ムギムギと水原希子が階級をまたいで通じ合…

笠原藤七「二月十八日の悲劇」『あしなか』、1967年 104巻 3号、pp.5-7

新潟の旧中蒲原郡には山に入った男たちが雪崩に巻き込まれた話が伝わる。場所は村松町の門原。一行の人数は五、六名前後。日付は二月十八日。大別して二バージョンがある。「バカナデ(雪崩)」と「熊狩り」である。 二月十八日。男が仏へお供えをした後に4…

『るろうに剣心 最終章 The Beginning』(2021)

正調の時代劇に近づくとかえってコスプレ劇の血が騒ぎだすのか、やってることは『翔んだカップル』と変わらない。路上で失神した巴など打ち捨てておけばよいものを、やはり性欲に抗えず拾ってしまい押しかけ女房される剣心。怪我にハンカチイベント。部屋に…

テッド・チャン『商人と錬金術師の門』

ウロボロス物である。男は“歳月の門”をくぐり、未来の自分から財宝を盗む。男は財宝の力で意中の娘と結婚するも、娘は誘拐され盗んできた財産は身代金に消える。ふたりは一から財産を貯め直すのだった。過去の自分に盗ませるために。 ウロボロスではあるが、…

『るろうに剣心 最終章 The Final』(2021)

前回の求婚を受けて、冒頭から剣心を意識しまくりな薫殿であったが、薫殿が嫌いなわたしにとってはこれが実に悩ましい。かわゆいのである。剣心の方は昔の女を思い出してしまって、薫殿は放置される。これはよい兆候だ。捨て置かれた薫殿はヒートアップする…

19世紀美学とオリエント急行の殺人『名探偵ポワロ』

スピットファイアの写真集を広げた男が、機体の美しさを滔々と語って聞かせると、女は不機嫌になった。 「戦争の道具じゃない」 男は窮した。 「でもイギリスを守ったんだよ!」 女は納得しない。 あるミリタリ本の後書きに記された作者痛恨の思い出である。…

『すばらしき世界』 (2020)

役所広司の就職を祝う席で怒涛のように立てられるフラグを見よ。みな口々に役所の憤怒調節障害を面と向かって指摘する。酒の席とはいえそれを当人にいったら不味いだろうと、無神経でハラハラさせつつ、職場では絶対に爆発してはならぬと、これもまたしつこ…

欧州版革新官僚

ワイマールの本を読むと比例代表制が心底イヤになる。実証的にはこの印象は誤りらしいが、あまりにもグダグダなので比例代表制がワイマールを滅ぼしたと思いたくなる。当時の人々にも同じ印象は確かにあって、議会のグダグダを厭うゆえにファシズムを歓迎す…

『アウトポスト』 The Outpost (2020)

沖縄のシュガーローフヒルでは海兵隊のオフィサーは15分ともたなかった。小隊長はトイレットペーパーのごとく交代していったそうだが、ここまで極端ではないにしろ、本作でも大尉(中隊長)が次々と斃れ消耗品の如く交代していく。結果、劇中で計4名の中隊長…

ケースホワイト & ラドムホウイモウ - アドバンスド大戦略

ケースホワイトは難物である。最初のマップではあるが、彼我のユニットの性能差が拮抗するために、殊に初回において経験値のないユニットを正面からぶつけると戦線はたちまち膠着する。完勝を目指すには迂回せねばならない。しかしマップが小さすぎる。した…

『タンポポ』(1985)

個々人に近代の心性が芽生えるプロセスに着目した90年代の伊丹作品に対し、本作は近代をより文芸的に捕捉しようとする。近代に至ると人はどんな気分になるのか? 近代を美意識として捕捉していた60年代の作者の気分を引きずるのである。宮本信子が山﨑努らと…

West,B (2020) The Last Platoon

戦記物の定石をまず外してくる。新卒士官がベテラン下士官にドヤされるのが通例であるが、本作では逆になる。 アフガン南部にマリーンの Firebase がある。そこに駐留する security platoon の小隊長が盲腸を患った。代役でやってきたのがクルツ大尉である。…

『今度は愛妻家』(2010)

人間の正当化の力を思い知らされるのである。薬師丸が今後家事はやらぬと宣言する。ところが、すでに部屋は雑然としていて違和感を覚えたのだ。が、薬師丸が旅行に出ていた設定に促され、部屋の散らかりを合理化してしまった。帰宅してまた旅に出る彼女に不…

エフタライチャー・アティル『潜入 モサド・エージェント』

オッサンにせよヒロインにせよ、移入の難しい人々である。オッサンは頭の薄いメタボのハンドラーで、20も歳の違うの新人エージェントに惚れてしまう。オッサンもバカではない。脈がないのはわかってる。わかっていながらも自分に対する好意の兆候を探しては…

『ラスト・ラン / 殺しの一匹狼』 The Last Run(1971)

スコットは声がいけない。声の軽さがいぶし銀の外貌と釣り合わない。この話では声の軽さが技術職の実存の問題を例化している。運び屋のスコットは請負であって犯罪の主体ではない。軽薄なトニー・ムサンテは憎悪を誘ってやまないが、この若造には犯罪の主体…

アマル・エル=モフタール & マックス・グラッドストーン 『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』

ノーラン映画の来す不安感といえばいいか。喚情要素がことごとく空回りして、創作の難しさを訴えかけてくる。 敵同士が文通の形で邂逅する。交渉を重ねるうちに相思相愛になる。イヤな上司に文通を気取られ、罠を張るよう強いられる。相手は罠を見抜くも、そ…

オリンピック雑感

野球を最初から最後までまともに見たのは四半世紀ぶりじゃないか。この間、事実として打撃と投球のフォームが変わっているのだが、わたしの方も昔に比べれば物の見方が多少は細かくなっている。フォームが異なって見えるのは、挙措の詳細が見えるようになっ…

『花束みたいな恋をした』(2020)

性格の一貫性について不審な点は間々ある。別れを切り出す土壇場になって、冷め切ったはずのふたりが感情を取り戻してしまう。それだけ盛り上がる余力があるなら、別れる理由が消えかねない。あえて回想で盛り上がるのなら、別れた後に持ってくるのが定石の…

ジブリから橋田寿賀子節へ

有能なキャラクターを創作するとなれば、受け手が彼を有能と認知してくれるような行動を用意せねばならぬ。かかる行動を発起させるイベントを用意せねばならない。 レディ・バーバラの性格造形は一言でいえば宮崎アニメのヒロインである。ボートでリディヤ号…

『KCIA 南山の部長たち』 The Man Standing Next(2020)

政治を儀礼化されたスリラーにするのは、政治日程と数の原理がもたらす抗争である。タイムスケジュールは正統性の調達を競う障害レースを設定する。日程は事件を物化するためのハードルである。体制が違えどこの手の政治スリラーは再現可能だ。たとえば『ス…

できることしかできない:ヘーゲルの場合

正義の具体的な内容を問われても、正義としか言いようがない。正義はひとつしかないからだ。現実は多くの事情からなっている。多様な現実に呼応して多様な道徳のふるまいが生じる。道徳が分岐すれば義務の対立が生じかねない。何か行動を起こせばある義務が…

狂女考 『セーラー服と機関銃』『二代目はクリスチャン』

薬師丸ひろ子も志穂美悦子も共に狂女でありながら、作中でたどる狂気の軌跡は逆である。前者は狂気を理解する物語である。後者は理解不能になる。 薬師丸は初期相米のヒロインたちと同様の、天然ゆえにリスク選好に走ってしまう一種の狂人である。佐藤允、三…

あまりにも下士官的な

副長のブッシュはある意味で諦念の人である。分を知ってクヨクヨするよりも、能力内で何ができるか実務的に追及したい人である。 彼には敵の出方を推論する能力がない。フランス語もホイストも球面三角法もみな、自分には無理な課題と分類している。決りきっ…

『スパイの妻』(2020)

相変わらず変な映画なのである。蒼井優は古の女優演技を不気味なほど的確に形態模写する。高橋一生の9ミリ半フィルムもいかにも戦前のホームムービーだ。これだけ見れば『カメレオンマン』(1983)だが、蒼井の復古調を捉えるのは飽くまで現代テレビドラマの質…

毎日がお祭り

散歩中、変なことに気が付いた。散歩ならば早朝すでにやった。帰宅後には二度寝をしたはずである。どうしてまた散歩するのか。そこで、この散歩が夢だと感づく。今まさに二度寝の最中なのだ。 夢と気づいたからにはやりたい放題である。夢中で様々なことを試…

『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(2010)

なぜダメな自分が愛されたのか。女の器質に根拠があった。女は恋愛体質である。その愛は無差別であるから男の性能は問われなかった。ところが女の器質は物語の根本的な動機を掘り崩しかねない。男は成熟したオスになって配偶者を得たい。だが、女の無差別な…