『アウトポスト』 The Outpost (2020)

沖縄のシュガーローフヒルでは海兵隊のオフィサーは15分ともたなかった。小隊長はトイレットペーパーのごとく交代していったそうだが、ここまで極端ではないにしろ、本作でも大尉(中隊長)が次々と斃れ消耗品の如く交代していく。結果、劇中で計4名の中隊長が登壇する。本作は中隊長の比較論になりそうだが、一瞬しか出てこない最後の中隊長を除いて、彼らの挙措にはことごとく違和感がある。


最初の中隊長は如何にもオフィサーな好人物で、溌剌と部下を励ます理想の上司である。あまりにもオフィサー然としているので自己劇化ではないかと疑わせるほどだ。この時点ではかかる印象が作者の意図なのか、それとも受け手であるわたしの色眼鏡なのか決めかねる。どちらかというとこちらの偏見だろう、とわたしは考えた。ところがこの中隊長が曲芸的に退場してしまう。正確に言えば、退場が曲芸的に見えるように撮られてしまう。


隊長は半ばイキりで半ばは責任感で部下の諫止も聞かず自ら5トントラックのハンドルを握り難路を登攀する。挙句に車輛もろとも転落して退場となる。話だけでもアレな上に転落の撮り方に悪意を覚える。手前で対話をしている被写体の後背で、ロングのままズルズルと何気なく隊長のトラックが奈落に落ちていく。これはブラックヒューモアの間合いと撮り方である。


後継の中隊長は外貌も挙動も最初の人と区別がつかない。如何にも頼れる感じがともすれば作為的に見えてしまう。しかしこの人は大丈夫だろうと勝手に思い込んでると吊り橋の真ん中で自信満々に爆散してしまう。これも撮り方がおかしい。やはりロングで冷やかに爆散の模様を収め喜劇じみてくる。


これは何なのか。答え合わせがやってくる。3番目の隊長が完全にアレなのである。


ビング・ウエストのフィクション、The Last Platoon には本作の大きな影響が見える。迫を撃つ件で、3代目の中隊長は官僚主義を発揮して目標が民間人でないか執拗に視認を求め現場を混乱させる。このエピソードは Platoon に転用されている。


本作の官僚主義隊長自体も Platoon に登場する大佐のモデルである。それだけこの中隊長には文芸的インパクトがある。


隊長は初出から飛ばす。部下が隊長の個室の前で待っている。部屋からはペットボトルに用を足す音が聞こえている。出てきた隊長は何の恥じらいも見せず真顔で尿入りペットボトルを渡してくる。隊長は終日個室に籠りペットボトルに尿を流しつづける。兵は蔑みを隠さなくなる。なんて臆病なんだ。


これは離人感の物語である。オフィサーになるべきではない人間が任官したとき、その人の挙動に何が起こるのか。本作はそれを離人的に表現するのである。劇的な退場はあくまでロングで距離感を以て遇される。臆病な中隊長は決して怖がらない。かかる離人状況が真顔でペットボトルに尿を足す挙措として具体化する。『ケイン号の叛乱』(1954)のハンフリー・ボガートであり、その極北ともいうべき『二百三高地』(1980)の仲代達矢である。


3人目の中隊長も解任の形ですぐに退場する。隊長が不在となったところで襲撃が始まる。


戦闘場面は実話ベースらしく泥縄で筋がない。何となくテンパって何となく片がついてしまう。SNS的な、顔面に張り付いて戦場を駆けずり回る広角レンズが、場を歪曲して何かで飽和させ、ぬるま湯に浸かるように戦場の狂騒から人々を隔ててしまう。悩める隊長たちの離人感が解き放たれ空間に充填されたのだ。あのすり鉢状の謎地形は離人感の隆起なのである。