読書

N・K・ジェミシン『オベリスクの門』

事故で月が長い楕円軌道に放り込まれた。気候変動で文明は崩壊し人類は全滅の危機に瀕している。科学が退化した代わりに核兵器級のサイキックが社会を構成している。『新世界より』を思わせる世界観である。両作とも破壊力ゆえにサイキックが忌避され、能力…

ゲルマンの太古の森へ

自由都市の発達は農奴制解体の前提だ。自由都市を成立させるのは領主に対抗できる強度をもった王権である。農奴の逃散先となる都市の成立を妨害する動機が領主にはある。王権は領主の軍事力を恐れるが都市を恐れる理由はない。共通の敵が王権と都市を結びつ…

キム・スタンリー・ロビンスン『未来省』

炭素の固定と引き換えに発行される仮想通貨が登場する。作中ではカーボンコインと呼ばれる。土地に炭素を吸収してコインを得ようと試みる農民の話には次のような文章が出てくる。 「小作農の尻をたたいて木や多年生植物を植えさせた」 作者は左派の人である…

マイクル・コニイ『カリスマ』

「わたしを知ってるのね」と女はいう。記憶はないがその自覚はある。女には自分を取り巻く構造に自覚があり、その自覚が男を惹きつける。 女と再会した男は、この宇宙にはあの女はもういないと悟る。女の記憶が多元宇宙を渡り、男はそれを追いかける。しかし…

ヘレニズム概観

ヘレニズムとは都市国家の体現した生活様式である。都市国家の生活に順応する者は誰であったにせよ、その素性と背景が何であったにせよ、ヘレーンとして受容された。へレーンは都市国家そのものを宗教として信奉した。 紀元前1100年頃、欧州大陸からエーゲ海…

ヘンリー・カットナー『ロボットには尻尾がない』

発明家を振り回す無意識には二つの作用がある。 発明は常に無意識のなせる業である。気づいたら用途不詳のガジェットが目前に鎮座している。使い道を探るミステリーは自分の無意識と出会う話でもある。 無意識は発明者個人だけではなく、誤配の形で社会にも…

産業革命の条件

Allen(2009) の説では、高賃金と安い燃料の組み合わせが産業革命を引き起こす。不足する労働力を機械で置き換えようとするインセンティヴが生じるのである。石炭はブラタモリの範疇であるからここでは追わない。検討すべきは高賃金をもたらした人手不足の理…

エルヴェ ル・テリエ『異常【アノマリー】』

設定はループ・なろう物に準じている。3ヶ月後に飛ばされた人々が、3ヶ月後の自分と対面するのが筋である。未来に行くのだから‟なろう”にはならないはずだが、3ヶ月後の自分の視点に立てば、僅かばかりとはいえ未来を知っているために、3ヶ月過去の自分に助…

実存開明

どうも私には今の私が本当の私だとは思われない。私が私自身に至っていない気がする。しかし、なぜ私は私自身になりたがるのか。どうやったらそれになれるのか。そもそも私自身とは何か。 本当の私である私自身を目指す運動は、スコラ学者を煩わせた神学論争…

貴志祐介 『新世界より』

瑕疵のある設定にはふたつの可能性を想定してよい。真正の瑕疵なのか。作り手は承知の上で瑕疵を設けたのか。 本作で問われるのは作り手の人権観である。 人間が巨大なネズミをエッセンシャルワーカーとして使役している。遺伝子を組み替えられたネズミの知…

ヘレニック社会とマルサスの限界

ヘレニック社会の拡大が始まるのが 800 BCE 以降である。従前のギリシア諸国民はそれぞれの領土内で国内消費用の作物を生産していた。この自給自足モデルを脅かしたのが増加の一途をたどるへレスの人口である。諸国はそれぞれ異なった方法で食糧難に対応した…

トインビーのインテリ観

インテリゲンツィアと呼ばれる社会階級は文明の遭遇によって創造される。威圧を受けた社会が攻撃者の文明を受容して生き残りを図る際に、インテリゲンツィアは彼我の橋渡しをするために誕生する。彼らは、侵入してきた文明の遣り口を習得する一種の連絡士官…

オクテイヴィア・E・バトラー 『血を分けた子ども』

状況がわからない。少年の家族とメスのエイリアンが数十年に渡り交流している。異星人は少年の健康にやたらと気をやる。少年にベタベタする彼女は母の警戒を呼んでいる。パターナルな異星人の印象はよろしくない。 世界観はイシグロの『わたしを離さないで』…

一般意志

ハンターはクマをOSO18と知らずに駆除したとみられる。OSO18は標茶町や厚岸町などで2019年から少なくとも牛66頭を襲ったとされています。 【速報】OSO18駆除と判明 釧路町でハンター駆除のクマ DNA鑑定で特定 知らずに駆除か - ライブドアニュース …

正統性を調達する

前近代のイスラム社会では法曹が行政に参与した。裁判官と民生委員を兼ね、徴税をして公共工事を監督した。開戦するとき、前例のない政策をおこなうとき、いかなる行為がイスラミックなのか、カリフは法曹に相談した。 行政に関与する法曹はアメリカの弁護士…

アンドレアス・エシュバッハ『NSA』

英語圏の歴史改変SFと比較すれば、ドイツ社会を叙述するにあたり援用される知見の質に大きな違いがある。ヒトラーの出番は一場面にすぎないが、その言動は伝記を踏まえた造形を越えたりはしない。主人公男が官邸でヒトラーと面会するプロセスに費やされる情…

動機主義と功利主義

海外暮らしの私にとっては、一時帰国のたびに、老人の多さ(そして態度の不遜さ)と、子供や若者の少なさ(そして小さくなっている姿)が目に留まり、悲観的な気持ちになります。(秋元,2022,234) 不遜な老人を嘆ずる作者の所感をまずカントの考えに基づいて…

泣訴する父権

所有権とは処分権である。自分が作ったものは自分が処分していい。自殺が禁忌とされるのは、自分は自分の創作物ではないからである。自分の出生に自分は関与していない。自分には責任がない。責任がないから恣にしていいと考えたくなるが、所有権の概念は逆…

マージョリー・キナン・ローリングス『仔鹿物語』

母は否定から入る人である。隣人に取引を持ちかけようとする夫に、ぼられるのが関の山と冷淡に応じる。息子ジュディが遅く帰宅するたびに不機嫌になる。狩に出ようとする夫ペニーとジュディを難じる。曰く「男ってのは何かっていうとつるんでほっつき歩きた…

日本における局地市場圏の実際

都市経営シミュのような荒蕪地に人を放り込むとする。西部の開拓地を想定してもよい。生活の必要に応じて肉屋、パン屋、靴屋などが現れ、建築の需要が増えれば大工の棟梁やレンガ工もやって来て、町が開かれるだろう。人々を強制せずに自由に行動させれば、…

頓挫した農村の近代化:プロイセン国家の場合

プロイセン国家において農村を封建的な隷属関係から解放したのは行政改革であり革命ではなかった。ナポレオンに莫大な分担金を強いられたプロイセン国家は、その支出に耐えられるような経済的に自由な体制を育てるべく、変革を決行した。が、あくまで行政主…

パオロ・バチガルピ 『ねじまき少女』

工場で使役する遺伝子改良ゾウが暴走して処分される。ホク・セン(中国系マレー人)が北米人の上司アンダースンの挙動を観察評価する体裁で事件の後始末が叙されていく。 ホク・センはアンダースンを洋鬼子扱いしている。マンダリンを解さない北米人の目前で…

大塚久雄の重商主義

福岡と熊本の県境。豊前街道沿いに肥猪と呼ばれる町がある。明治の初め、父方の実家はこの地で醸造を営んでいたのだが、幼少のわたしは家のルーツを聞いて戸惑ったのだった。肥猪は1970年代に電話が開通したような何もない僻地である。醸造のような産業が成…

フラストレーションとサスペンス

桜花抄の序盤を思い起こせばよい。金融一家にムサビ臭い男女が生誕した。虚業を嫌う一族から男女は孤立し連帯する。殊に男子は兄弟に加虐され、女は庇護の役回りを担う。階級脱出の定型であり、やがて男女が互いの才能に動揺を覚える点に変奏がある。バトル…

パオロ・バチガルピ 『第六ポンプ』

筋が定型ならば創作のリソースは筋の組み合わせに投じられる。 ブツを拾い追われてしまう。 自分がいつの間にかメカにされていた。 『ポケットの中の法』(1999)が検討するのはこれら定型の筋を媒介するアイデアである。少年が拾ったデータキューブにはダライ…

マーサ・ウェルズ『ネットワーク・エフェクト: マーダーボット・ダイアリー』

これは邪念であるから、このままでは消化に支障をきたす。邪念は邪念に見えないように再解釈されながら、解釈の過程を通じて解釈者の性質にも感化を与えてしまう。解釈が逆流した。そこにおいて達成されるのは邪念の受容というより萎えに近い。もはや邪念の…

ジョー・ウォルトン『わたしの本当の子どもたち』

求婚を受けるか否かで女の人生が分岐する。それぞれの人生を並行して鑑賞する趣向である。結婚した分岐ではカトリックの夫の保守的な家庭観に女は束縛されキャリアを失う。夫は妻の知性を徹底して否定してくる。そもそも子育てに忙殺されてキャリアどころの…

マイクル・ビショップ『時の他に敵なし』

卑近の課題で場を持たせる手管は機能している。関連しない状況にモチーフを共有させる手管も認められる。序盤を持たせるのはスペインの貧民街のサバイブ劇である。この手の卑近の課題は石器時代編の大半を支配する。乾期に貧窮させることで石器人類の群れに…

ちょっとムカっとしただけ

遠い過去の自分に対して行われた不正には、時間を戻せない以上、対応する術がない。それはわれわれには自由にならないものであり、したがってわれわれの責任のないものであり、もはや関係のない事象である。にもかかわらず、立腹してしまう。あるいは変えら…

三島由紀夫『午後の曳航』

スタローンのエクスペンダブルズは消耗品であることのタフさを称揚するのであるが、それ以上にこのタイトルは、消耗品であると自覚できることに特権性やノーブルさを見出している。そう思えるためには何らかの精神性が必要なのである。男なら死ねと江田島平…