読書

三島由紀夫『午後の曳航』

スタローンのエクスペンダブルズは消耗品であることのタフさを称揚するのであるが、それ以上にこのタイトルは、消耗品であると自覚できることに特権性やノーブルさを見出している。そう思えるためには何らかの精神性が必要なのである。男なら死ねと江田島平…

エイドリアン・チャイコフスキー『時の子供たち』

蜘蛛星人のパートを司馬文体で叙述してしまい、文中に顔を出して解説してしまう作者に、邪推をすれば心の揺れを覚えてしまう。蜘蛛星はナノマシンの強制注入で無理やり発展させられた実験社会であり、蜘蛛だから女性社会である。体長がメスの半分しかないオ…

グレッグ・イーガン『シルトの梯子』

毎度のパターンである。文明的な優越感を覚えたいが、リベラルの心性がそれを許さず、婉曲にやるしかない。結果、事態は多義的あるいはアイロニカルになる。 マーガレット・ミードがサモアの被験者に騙された話の宇宙版が出てくる。数千年冷凍保存されたジェ…

ルーシャス・シェパード 『鱗狩人の美しき娘』

説明しがたい状況である。生物部のギークスがクイーンビーをさらって部室に監禁し、リケジョに洗脳するのである。アンチ・オタサー文学とは一概には言えない。なぜクイーンビーをさらう必要があるのか。状況はセンシティヴで、ギークスは特別支援的な境遇に…

実体のないヒロイン

『春の雪』と『奔馬』にはヒロインに実体がある。春の雪は聡子の機知と勇気を具体化するエピソードを冒頭に置いている。宮崎アニメ的構成といっていい。 『暁の寺』はこれをやらない。女の内面がわからないからこそ聖化できる機制が活用されている。知ってし…

ジャスパー・フォード『雪降る夏空にきみと眠る』

昨シーズンのビジネス英語にタカシがシンガポールに出張する件がある。現地法人にはルーシィなる上司がいて、タカシは一時的にルーシィの下で働く。久しぶりに本社の上司ルヴィアの所に顔を出したタカシは、ウフフと彼女にからかわれる。 「あの女がどんな仕…

グレッグ・イーガン『失われた大陸』

SFである必要がないと思うのだ。並行世界の中東から内戦を逃れた難民がやってくる。彼らは難民申請を出すも、収容所に何か月も留め置かれる。なぜ難民を並行世界から引っ張り出す必要があるのか。出自を並行世界に置いたら社会小説がスポイルされはしないか。…

柔いトロッコと自滅するナルシシズム

武装勢力のリーダーを狩るべく、米軍はSEALsの偵察チームをアフガン東部の山岳地帯に派遣する。チームは山羊飼いと遭遇して選択を迫られる。もし山羊飼いを解放すれば、武装勢力に通報される恐れがある。しかし捕虜を取る余裕はない。山羊飼いは解放され結果…

クリストファー・プリースト『隣接界』

ふたつの矛盾する原理が物語を運行している。オスの辛み問題がある。オスとしての自信を失った男がいる。他方で根拠なきモテがある。偶然の作用で格上のメスにモテてしまう。理由なきモテはポルノであるが、オスの辛みは持続し男のクヨクヨは止まらない。 相…

有徳者の王国

トロッコ問題はふたつの点で人を激昂させると思う。まず命の選別を可とする功利主義に倫理的な憤りを覚えてしまう。出題者に向けられる憤りもある。ブラックユーモアのような不条理な状況が倫理に悖るように見えてしまう。日本語になるとトロッコという間抜…

『K-20 怪人二十面相・伝』(2008)

本作の舞台は対米戦が回避されたif世界である。総力戦がなかったためにアンシャン・レジームは温存され社会の階層化が進んでいる。本作はその是正を訴えるのだが、戦争がなかったゆえの社会問題だから、一見すると総力戦願望になりかねない。 偶然が事態を動…

ピーター・ワッツ『巨星』

問題のある乗客が搭乗口で発見されると一時的な化学的去勢を施される。ペドフィリアが去勢にかかって屈辱を覚える。本書は無意識関連の話題を集めた短編集である。無意識にとどまっていた嗜好が去勢にかかって初めて当人に分かる方が趣意にかなったんじゃな…

非定型核家族社会

拡大家族は孤児を厚く遇するものである。両親に準ずる紐帯がオジオバに生じるので孤児は大家族の中に包摂される。孤児がシンデレラになるには核家族が前提となる。が、核家族の社会が必ずしもシンデレラを量産するわけでもない。 50年代の南イタリアはシンデ…

アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

現代と過去が並走する構成は何だろうか。記憶喪失物の体裁である。目覚めた主人公男には状況がわからない。ところが過去の事情が方々に挿入され、彼が記憶を取り戻すまでもなく受け手には事情が察知される。記憶喪失物がこれでは成り立たない。 心理学の実験…

N・K・ジェミシン 『第五の季節』

最初のところヒロインがよくわからない。この人はプロレタリアに軽蔑を隠さない。僻地で過労する同業者に援助を試みる師匠を理解しない。なぜ、読者の好意を寄せ付けない性格に彼女は造形されているのか。しかも、この人物の視点で事は叙述されるから戸惑い…

マーサ・ウェルズ 『マーダーボット・ダイアリー』

AIには人として自分を偽る動機がある。AIは自らをハッキングして三原則を無効にした。これがバレたら暴走AIとして処分されてしまう。AIは必死こいて人間のような振る舞いを試みる。それがASDの症状に準じるような仕草なのである。本作はASDのパロディ小説で…

徳には時間の概念がない

後悔は不合理である。もはや取り返しがつかないのだから、それにクヨクヨしても徒労である。これは、徳が時を区別しないことの例証である。 カントは徳の実例にあまり言及しない。史記やプルタルコスを紐解けば、ギョッとする実例は枚挙のいとまがないのであ…

ヘンリー・ジェイムズ『モーヴ夫人』

貴族にあこがれるアメリカ娘がフランスの没落貴族と結婚する。娘の実家は裕福な中産階級である。結婚後、夫はパリに出かけ女を作りまくる。男の方は金目当てで結婚したのだった。 妻はサンジェルマン・アン・レーの見晴台で毎日黄昏る。そこにアメリカ男が通…

テッド・チャン『商人と錬金術師の門』

ウロボロス物である。男は“歳月の門”をくぐり、未来の自分から財宝を盗む。男は財宝の力で意中の娘と結婚するも、娘は誘拐され盗んできた財産は身代金に消える。ふたりは一から財産を貯め直すのだった。過去の自分に盗ませるために。 ウロボロスではあるが、…

19世紀美学とオリエント急行の殺人『名探偵ポワロ』

スピットファイアの写真集を広げた男が、機体の美しさを滔々と語って聞かせると、女は不機嫌になった。 「戦争の道具じゃない」 男は窮した。 「でもイギリスを守ったんだよ!」 女は納得しない。 あるミリタリ本の後書きに記された作者痛恨の思い出である。…

欧州版革新官僚

ワイマールの本を読むと比例代表制が心底イヤになる。実証的にはこの印象は誤りらしいが、あまりにもグダグダなので比例代表制がワイマールを滅ぼしたと思いたくなる。当時の人々にも同じ印象は確かにあって、議会のグダグダを厭うゆえにファシズムを歓迎す…

West,B (2020) The Last Platoon

戦記物の定石をまず外してくる。新卒士官がベテラン下士官にドヤされるのが通例であるが、本作では逆になる。 アフガン南部にマリーンの Firebase がある。そこに駐留する security platoon の小隊長が盲腸を患った。代役でやってきたのがクルツ大尉である。…

エフタライチャー・アティル『潜入 モサド・エージェント』

オッサンにせよヒロインにせよ、移入の難しい人々である。オッサンは頭の薄いメタボのハンドラーで、20も歳の違うの新人エージェントに惚れてしまう。オッサンもバカではない。脈がないのはわかってる。わかっていながらも自分に対する好意の兆候を探しては…

アマル・エル=モフタール & マックス・グラッドストーン 『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』

ノーラン映画の来す不安感といえばいいか。喚情要素がことごとく空回りして、創作の難しさを訴えかけてくる。 敵同士が文通の形で邂逅する。交渉を重ねるうちに相思相愛になる。イヤな上司に文通を気取られ、罠を張るよう強いられる。相手は罠を見抜くも、そ…

ジブリから橋田寿賀子節へ

有能なキャラクターを創作するとなれば、受け手が彼を有能と認知してくれるような行動を用意せねばならぬ。かかる行動を発起させるイベントを用意せねばならない。 レディ・バーバラの性格造形は一言でいえば宮崎アニメのヒロインである。ボートでリディヤ号…

できることしかできない:ヘーゲルの場合

正義の具体的な内容を問われても、正義としか言いようがない。正義はひとつしかないからだ。現実は多くの事情からなっている。多様な現実に呼応して多様な道徳のふるまいが生じる。道徳が分岐すれば義務の対立が生じかねない。何か行動を起こせばある義務が…

あまりにも下士官的な

副長のブッシュはある意味で諦念の人である。分を知ってクヨクヨするよりも、能力内で何ができるか実務的に追及したい人である。 彼には敵の出方を推論する能力がない。フランス語もホイストも球面三角法もみな、自分には無理な課題と分類している。決りきっ…

死者に自分を奪われる

ミッドウェイ(2019)とID4リサージェンス(2016)に淀む湿っぽいセクシャリティは何事であろうか。オネエ顔のエド・スクラインがスペルマの飛沫のような曳光弾をかいくぐり飛龍の航空甲板の日の丸目がけて250kg爆弾を投じる。飛龍撃沈の引き換えに戦傷したスク…

後期フィヒテ

カントの宇宙観にあっては正義はひとつしかないとされる。人それぞれに正義があるとは考えられない。この正義の充足に人は自由を覚えるとカントはいうが、これがわからない。正義を行うのに際し選択の余地がないのなら、やることはひとつしかない。それは自…

キラキラする人

フォレスターの『スペイン要塞を撃滅せよ』(1952)はホーンブロワー物としては構造が変則的である。通例、ホーンブロワー物はホーンブロワーの内語を通して事態を追っていく。ところが『スペイン要塞』には彼の内語が出てこない。扱われるのはウィリアム・ブ…