一般意志

精神現象学社会学史 (講談社現代新書)歎異抄 (岩波文庫)

ハンターはクマをOSO18と知らずに駆除したとみられる。OSO18は標茶町厚岸町などで2019年から少なくとも牛66頭を襲ったとされています。
【速報】OSO18駆除と判明 釧路町でハンター駆除のクマ DNA鑑定で特定 知らずに駆除か - ライブドアニュース

答えのない問いはない。それどころか答えはすでに知られているという。問題にただ向き合えば自ずと答えに導かれるはずである。


実際はこれは困難である。ありのままに状況を知るのが難しい。予断や邪念が剥き出しの状況から観測者の目を逸らしてしまう。答えではなく状況を具体的に知る技術を探すべきだ。ありのままの状況を知れば答えは後から勝手についてくる。


人が文意を介さず経を唱える。唯円にはこれが無意味に見える。親鸞の考えでは文意を解すると逆に経から遠ざかってしまう。解釈を試みると念仏に自分の邪念や予断が混じってしまう。正確の形状を知るためには何度も機械的に写す以外に方法がない。文意を知るためには機械的に唱えるに如くはない。しかし、個人の尽力に依存する点でこれらの方法には難がある。個人の資質に依存しない制度的な手法が確実である。


邪念とは意図である。特定の利害である。複数の利害を対峙させ誰もが意図せざる結果に至れば、それは誰の邪念でもなくなるだろう。ただ、利害を対峙させる際、互いに意志を伝えあって徒党を組んではいけない。理性を公共的に使用できるのは徹底した私人である(カント)。できるだけ多様な人々が分散して利害を突き合わせると邪念が希釈され、「答え」に到達する確率が高まる。


「答え」は既にある。それは一般理念(ヘーゲル)あるいは一般意志(ルソー)と呼ばれるが、「一般」という訳語は矛盾を含んでいる。一にして般。つまり単一でありながら分かれ行き渡る。


答えは単一である。しかし現実は多くの事情から成り、多種多様な場面に応じて答えは分裂する。人には答えが備わっているが、答えの有様が矛盾するために人には認識ができない。やむなく答えは意識の下に保存されている。最終的に問われるのは無意識との向き合い方である。


人の意図を聡く察するクマを倒したのは意図なき天然である。ハンターにはOSO18を狩っている認識がなかった。意図がなければ察しは不能である。カルヴィニストは資本主義に達するべく信仰したわけではない。そんなことをすれば信仰になり得ず資本主義には達しない。


無意識の闇では、現実の夜と同様に注視点を視野の中心から外さなければ物は見えてこない。無関心であるべきなのだ。故意の無関心は矛盾の行為だが、単一にして遍くある答えの有様も矛盾であるから、矛盾には矛盾で対応するしかない。答えが単一であるなら、全ては必然性の意図に導かれ自由の余地はなくなる。自由と自立は必然の過程に無関心な態度をとって初めて成立する。



ブルドーザーのガンバ (のりものストーリー(2))ブロンソン大陸は無意識の海洋に囲まれている。そこは漂着の場所であり、意図して上陸できる者はいない。無意識との対峙は時として航海者を死体という究極の無意識に至らしめ大陸に漂着させる。トラウマ絵本『ブルドーザーのガンバ』の結末である。


老朽化して路傍に打ち捨てられたガンバは、土砂降りの夜に少年を救い事切れる。後日、横たわるガンバの下を少年が訪れる。ガンバはヤマユリに囲まれ安らいでいる。彼はブロンソン大陸に到達しているのだが、礼を述べる少年の声は聞こえず何もわからない。





この兇悪ないじらしさは何か。動物やメカの薄い自意識は不憫を誘う。これが無意識の遠隔操作に援用されている。