仮文芸

現代邦画とSFの感想

正統性を調達する

Rulers, Religion, and Riches: Why the West Got Rich and the Middle East Did Not (Cambridge Studies in Economics, Choice, and Society)前近代のイスラム社会では法曹が行政に参与した。裁判官と民生委員を兼ね、徴税をして公共工事を監督した。開戦するとき、前例のない政策をおこなうとき、いかなる行為がイスラミックなのか、カリフは法曹に相談した。

行政に関与する法曹はアメリカの弁護士を思わせる。オーヴァルオフィスのやり取りにはホワイトハウスの弁護士が同席して助言する。戦場では命令が交戦規定を逸脱しないか、指揮官は制服を着た法曹資格者に助言を求める。対して、『シン・ゴジラ』の官邸や『宣戦布告』(2002)の連隊本部で法的助言をするのは内局の役人である。

米の弁護士社会は大統領制の産物だろう。議院内閣制の行政は立法府から正統性を調達している。米の行政府は議会から調達できる正統性に限りがある。イスラム社会には議会そのものがない。不足する正統性は司法から調達され埋め合わせとされる。正統性の調達とは恣意性の制限である。弁護士が行政裁量の妥当性を判断し、聖職者がカリフやスルタンの行為がシャリーアを逸脱しないか判断し、行政の恣意に制限をかける。

議会は中世欧州の不安定な行政に起源がある。

地方領主と拮抗する王権に行政を浸透させる力はない。領主の同意なく徴税を強行したら叛乱の恐れがある。王権は議会に領主を招集し取引をする。徴税の代わりに領主の所有権を認め、公平な裁判を誓わされる。

議会が最初に現れたのは12世紀後半のイベリア半島だった。レコンキスタ編入された領地の民情を慮って議会が招集された。13世紀に入ると議会はイングランド・フランス・ポルトガルに伝播するが、当のスペインとフランス議会は15世紀を境に召集の頻度を下げていく。


徴税とは別の収入源を有する行政には、裁量を奪ってくる議会を招集する動機がない。南米から銀が流入した結果、スペインの領主たちは王権に対するバーゲニングパワーを失った。

現代でも油田を発見したサハラ以南の独裁国家に似た挙動が観察される。油田は市民を収奪する必要性を低めるはずだが、政府は逆に収奪に走ってしまう。原油収入で強制力を調達できるために、行政は市民の叛乱を恐れなくなるのだ。中東国家やロシアも原油によって正統性を調達する必要を減じていると思われる。

オスマン帝国は軍部と取引しその支持を得て徴税のための強制力を調達した。戦争によって獲得された領地の徴税権を軍人に与えた。このためにスルタンは絶えず領土拡張の圧力にさらされ、拡張が止まると軍部に対してバーゲニングパワーを失った。代わりに徴税のエージェントを地方豪族が担った。しかし、強制力を伴わない行政にはエージェントに都合の悪い方策を施行する力がない。17世紀半ば、オスマン帝国の人口はイングランドの4倍だった。税収はイングランドの8割にすぎない。


議会に依存しない行政の裁量は一見して大きい。だが、長期的には議会ベース行政の徴税力に圧倒され競争に負けてしまう。

現代の産油国家の行政は、原油価格によって実効力を左右される。

スペインで異端審問が頻発したのは行政が劣化した結果である。議会の代わりに教会から正統性を調達した行政は、教義に反する施策を取れなくなる。ただそれ以前に、住民の違法なヴィジランテを取り締まる強制力がない。人権侵害は劣化した行政の指標である。

フランスの行政は平民に人頭税を課し、175年間議会を招集しなかった。結果が市民の叛乱である。

エリック・ホッファー曰く、どんな社会にも多目的型人間がいる。アメリカの弁護士、ロシアのコミッサール、イギリスの政治家。これらはいずれも行政の正統性を担保する人々である。