ゲルマンの太古の森へ

政治の起源 下 人類以前からフランス革命まで自由都市の発達は農奴制解体の前提だ。自由都市を成立させるのは領主に対抗できる強度をもった王権である。農奴の逃散先となる都市の成立を妨害する動機が領主にはある。王権は領主の軍事力を恐れるが都市を恐れる理由はない。共通の敵が王権と都市を結びつけ、都市から収奪を試みる領主を牽制したとアダム・スミスはいう。エルベ川東西の命運を分けたのは王権の強度であった。エルベ川から西の王権は領主を牽制して都市の発展を促し、14世紀後半に入ると農奴制は解体していった。王権の強度に劣るエルベ川東岸では逆に領主が農奴の収奪を強めていった。農奴制の存否が王権と領主の力関係に因るのなら、エルベ川西岸の強い王権は何に由来するのか。


大塚久雄著作集〈第11巻〉比較経済史の諸問題大塚久雄は、都市が農奴制を解体するストーリーに悲観的である。大塚の理論仮説では都市による農奴の吸収は近代化に直結しない。もっと根本的な変化が必要である。


近代とは産業資本主義である。製造業の文明である。ギルドが生産数と雇用人数を規制する中世都市は近代と異なるの思考で稼働している。雇用の保証を優先し競争を何よりも恐れるギルドは同業者を破滅させかねない新しい機械を憎悪しイノベーションを禁じた。これでは産業革命に到達しそうにない。


職人個人ではなくギルドが生産数を決める仕組みは共同体と呼ばれる思考の産物である。共同体の社会では個人が土地の利用権を有しない。取引は家族や部族単位で行われ、売買には共同体の総意が必要になる。共同体の思考で稼働する中世都市が農奴を吸収しても近代は訪れない。問われるべきは農奴制ではなく共同体の解体である。ならば、共同体はどのようにして解体していったのかと大塚は考えるのか。


徒弟の数に制限を課す中世都市の成長は緩やかだ。12~14世紀においてケンブリッジの成長は年平均で一世帯分の人口増にとどまった。農奴が都市に逃げ込んでもギルドが吸収できる人数には限りがある。14世紀後半、農奴の逃散がピークを迎える頃、逆に都市の職人たちが農村に流出する奇妙な現象がイングランドに現れる。ギルドの規制を嫌った職人たちが農村に逃れ自由な生産活動を開始したのだ。都市では吸収しきれない農奴たちの受け皿となったのが彼らである。


今や生産規制から解放された職人たちは労働生産性を上げるため分業に邁進する。マルクスはいう。分業の社会では諸個人が互いに独立していて交換によってのみ結び合わされている。分業は共同体から人間を抽出して個人を創造せずにはおかない。農村工業の発展は村落内部に高度な分業関係を浸透させ共同体を解体していった。これが大塚の描くストーリーである。


自由都市と同様に農奴を奪う農村工業も領主には目の敵になる。領主を牽制したのは中世にしては例外的に中央集権的だったイングランドの政体であった。領主と国王の裁判所は競合関係にあり管轄は曖昧だった。農村工業がその間隙に生じたのならば、やはり中央集権的な王権の由来が問われてくる。


イギリス個人主義の起源: 家族・財産・社会変化 (社会科学の冒険 9)大塚のストーリーの逆を行くのがマクファーレンの仮説である。彼の説に拠れば、イングランド村落の共同体を解体したのは農村工業ではない。そもそもイングランドの村落には最初から共同体がなかった。農奴制が解体するはるか以前の11世紀には、すでに土地の所有権は個人にあり家族内で土地の譲渡が行われていた。農奴ですら領主の許可なく保有地を売買した。都市からやってきた職人が村落の共同体を破壊したのではなく、共同体が最初から存在しないために職人は村に移住して自由な生産活動が行えた。モンテスキューはいう。プロテスタントイングランド個人主義をもたらしたのではなく元からあった個人主義プロテスタントに感応したに過ぎない。


イングランド人の個人主義がどこに由来するのかマクファーレンは説明しないとフクヤマは指摘する。通商の増大と関連付けるマルク・ブロックの説明も不十分とする。ただ、ブロックはこうもいっている。イングランド農民の広い特免権は侵入者のスカンディナヴィア人が独立した農民という母国の慣習を導入した結果であると。中央集権的な政体をもたらしたのは征服王朝というイングランド王権の出自であった。ノルマン征服が中央集権的な王権となり、それ以前に襲来したデーン人が個人主義の起源となったのである。では、北欧の個人主義はどこからやって来たのか。


マクファーレンはモンテスキューを参照する。曰くイングランド政体の概念はゲルマンの森の中で誕生した。サリー法典の個人主義的財産制度が北欧を経由してイングランドに到達した。北欧の気候がゲルマンの森の掟を保存したのだ。


謎は残る。気候が掟を保存する機制とは何か。なぜゲルマン人の財産制度は個人単位となったのか。近代の起源を捕捉する旅はつづく。