旅する共同体

A Parallel Between the English Constitution and the Former Government of Sweden; ... By J. L. DL. LLD18世紀半ば、ジュネーヴの市民革命は頓挫し貴族の寡頭政治に移行した。ジュネーヴからイングランドへ亡命したジャン=ルイ・ド・ロルムには、イングランド王権の強さが魔法のように見えた。フランス王は議会を従属させるために軍事力の行使をちらつかせた。イングランドでは国王の二言三言で議会は解散する。ノルマン征服が彼我の違いを生んだとドロルムは考える。征服によって王権が中央集権的な封建制イングランドに課したのだ。


モンテスキューやバークにとってバランス・オブ・パワーとは王権を制約する手段だった。ドロルムにとっては貴族こそが問題だった。ジュネーヴ・フランス・スウェーデンの行政に混乱を招いたのは貴族たちだった。強い王権は、あるいは後のジョン・アダムズの言葉を借りれば強い行政は、デモクラシーの礎なのである。


強力な王権は近代化の成功ルートである。経済史の標準的な学説は王権の強度と都市の発展を関連付ける。農奴の逃亡先となる都市を貴族は目の敵にするために、都市は王権の庇護を必要とする。


Allen(2009) の実証によれば、産業革命に寄与したのは都市化と農村工業の進展と農地の単位収量の向上である。大塚史学は農村工業の寄与を重く見るが、ギルドに生産規制を強いられる都市は近代化の阻害要因とする。都市は農村にもギルドの規制を及ぼそうとするので、都市と農村の共存は大塚説にとっては違和感がある。農村工業の起源は都市から流出した手工業者と大塚は考える。農村で工業が栄えるのなら都市は廃れるはずだ。


アレンの研究では、王権よりも海外需要が都市化に寄与している。農村工業の発展と交易の隆盛は関連が見出されない。ナラティヴに見れば実際には何が起こっているのか。


西洋経済史講座〈第1〉封建制の経済的基礎―封建制から資本主義への移行 (1960年)都市工業が農村に流出した事実はあるが、全ての工程が移動したわけでもない。織布と準備の工程が農村に流出し、都市工業は仕上工程を主として扱うようになった。都市と農村が分業関係に入ったのなら、互いの発展は必ずしも排他的にはならない。この関係下では農村工業の交易相手は都市であり、海外とは直接にはかかわらない。都市化と海外需要を関連付けるアレンの実証は、この辺の事情を捕捉している可能性がある。


経済史の標準的見解では都市は王権によって守られる必要があった。大塚史学では王権の庇護がなければ農村工業は都市と貴族に収奪され発展しない。アレンは逆に絶対王政の進展は農村工業を阻害すると見なす。


イングランドに続いてフランス農村においても、大衆需要のための廉価な毛織物生産が始まっていた。イングランド産毛織物が大陸を席捲するとフランスの絶対王政イングランド産に匹敵する輸出向け織物の生産を志向した。結果、誕生しつつあった農村の自由な商品経済はつぶれてしまった。


近代は経済利害で稼働する社会である。中世経済を稼働させるのは共同体の原理である。共同体では個人が決定の主体とならないため、都市ではギルドによって個人が生産できる量が規制される。取引相手との地縁と血縁の濃さに応じて価格が変動するために近代的な価格メカニズムが作動しない。


近代化とは共同体から人間を解放して個人を創作するプロセスである。個人を誕生させるのは工業化にともなう社会的分業である。大塚のストーリーでは農村工業が分業をもたらし共同体を駆逐したのだが、地球規模で俯瞰すれば産業革命は共同体を世界中に流出させてしまう。フランスの絶対王政イングランドの経済攻勢に応じて輸出用のモノカルチャーを農村に課した。イングランドを追われた共同体はフランスの農村に逃亡先を見出した。共同体はなくならない。転移するのだ。


貴族を制した王権が都市化を促すとすれば、イタリアは王権の不在が近代化のルートを絶った典型例である。イタリアでは都市が廃れたのではない。農村が都市を乗っ取ったのである。


徴税権の行使を領主に保証するのは彼の武力である。王朝国家体制論の世界観では、12世紀に入っても名主が国衙の諸職を兼ねるのは国衙の武力を背景にしないと領掌権を行使できないからである。


イタリアでは領主としての修道院は直営地を分割して騎士層に貸与し、代償として彼らから軍事義務の供給を受けて、徴税権行使の物理的根拠を調達した。騎士たちは貸与された小作地を農民に再小作させ、自分たちは都市に定住して商人化した。これがイタリアの都市国家の成り立ちである。


いずれの時代も都市国家は田園の収奪によって成立する。フィレンツェの市当局は市民生活の安定のために半島内外から安価な穀物を輸入し、補助金を用いて安価に配給した。穀物生産では競争に勝てなくなった農民は、都市市場向けの商品作物を専ら生産した。ブドウ酒やオリーブ油である。都市の地主的商人は農民に徴税権を行使し、作物に関しても都市市場が農村を従属させたのだった。


共同体解体の起点となる分業関係は地域的に完結した自給自足の構造から始まる。農村の手工業者は農民に商品を供給し、農民は職人に穀物を供給する。遠隔地向けの特定商品に特化した分業関係は共同体を強化する。取引は集団同士で行われ個人が参画する余地に乏しいからだ。


地域的な自給自足の起点となるのは農村工業である。イタリアの農民が工業に作物の販路を見出せば、都市への隷属から抜け出せるだろう。都市の支配層はこれを警戒して農村の手工業者もギルドに加入させ、当局やギルドの役人を農村に派遣し農民たちの営みを監視した。農村工業は不振を極め、副業的性格異常にはなり得なかった。ここにイングランドから近代が襲いかかるのである。イングランド産毛織物の姿で到来した近代に都市も農村も抵抗の術を持たなかった。