ヘレニック社会とマルサスの限界

歴史の研究 3ヘレニック社会の拡大が始まるのが 800 BCE 以降である。従前のギリシア諸国民はそれぞれの領土内で国内消費用の作物を生産していた。この自給自足モデルを脅かしたのが増加の一途をたどるへレスの人口である。諸国はそれぞれ異なった方法で食糧難に対応した。


イタリアの長靴のつま先に新たな耕地を獲得して過剰人口の処理を試みたのがコリントとハルキスである。彼らの植民地政策は他の地中海民族の結集と抵抗を呼び、ヘレニック社会の拡大は 600 BCE 中になおも過剰人口を抱えながら行き詰った。


有力な都市国家の中でただひとつ海岸線を有しない国であったスパルタは近隣国の併合を試みた。食糧難に対するスパルタ社会の回答は軍国化であった。スパルタは社会をひとつの兵舎にした。


すべてのスパルタ人は国家から土地を支給された。割り当てられた土地は被征服民のメッセネ人農奴が耕作し、スパルタ人は全精力を戦争の技術にささげた。軍事訓練は7歳から始まり、結婚は強制されても家庭生活は禁じられ、結婚後も兵舎で生活を余儀なくされた。スパルタの少年たちは夜間に地方を巡回し、メッセネ人農奴が少しでもイニシアティヴの兆候を見せると殺害した。


スパルタ人は過剰の公共精神を発達させたが、極端な環境はエスキモーや遊牧民のような発育停止社会に彼らを追い込み行き詰らせた。


ステップや氷原は住民を極端な風土の年周期に従わせる。自然の課す極端な時間割はエスキモーと遊牧民を環境の奴隷にする。極端な環境を克服するために、彼らは他者を使役して仕事に専門化する。エスキモーは犬を使役して狩猟に特化する。遊牧民は家畜と補助動物を使役して牧羊に特化する。スパルタ人はメッセネ人を使役して戦争に特化した。


エスキモー、遊牧民、スパルタ人は人間の多様性と可塑性を捨てて、融通の利かない動物性を身に付ける。そのために彼らの社会は発育を停止する。


ヘレニック社会の人口過剰問題に対して持続可能な解決を発見したのはアテナイである。彼らは自給自足を前提とした経済構造を改変した。輸出目当ての換金農業に特化して引き換えに食品を輸入した。原料を輸入し工業品を輸出した。黒海スキタイ人には王族の好みに合う奢侈品を輸出し、スキタイ人支配下にある定着農民の穀類が都市住民の食料として輸出された。


経済的に自己完結していたそれぞれの都市国家が自給自足を廃し、ヘレニック社会全体が分業と特化による相互依存を前提とした経済体制に移行した。自給のための小規模な混作農業は農園奴隷による特定農産物の大量生産方式に切り替わった。ヘラスの経済革命とは、分業と特化による生産量の増大によって、それ以上拡大できない空間内であっても増加する住民を養いうる方策だった。


しかし、経済革命はヘレニック社会に新たな挑戦をもたらす。


ヘレニック文明全体をひとつの単位と見なす経済体制はそれに呼応した政治体制を必要とした。自給自足農業を前提とした都市国家の体制は、経済的に一体化したヘレニック社会の政治構造としてはもはや不適当だった。500 BCE 末から統一的な政治体制の実現が社会的課題となった。この挑戦に時宜に適った対応ができなかったヘレニック社会は衰退期に入った。