トインビーのインテリ観

歴史の研究 3インテリゲンツィアと呼ばれる社会階級は文明の遭遇によって創造される。威圧を受けた社会が攻撃者の文明を受容して生き残りを図る際に、インテリゲンツィアは彼我の橋渡しをするために誕生する。彼らは、侵入してきた文明の遣り口を習得する一種の連絡士官である。


最初のインテリゲンツィアはピョートル大帝時代のロシアに現れた。スウェーデンの侵略を防ぐべく西欧の戦争技術を習得した陸海軍士官である。時代が下ると今度は西欧化したロシアの南下に対応して、トルコや日本に同種の階級が作られる。


軍人の次に来るのが外交官である。彼らは西欧政府と折衝する方法を習得する。戦争に敗れてしまえば、自国に強いられる条件に関して交渉に当たる。


その次は商人。広東の公行やオスマン帝国領のレヴァント、ギリシアアルメニア商人。


そして社会が西欧文明にいよいよ同化してくると、インテリゲンツィアの最たるタイプが登場する。西欧の学科を教える技術を習得した教師。西欧式の行政事務を遂行する方法を習得した官吏。ナポレオン法典を焼き直すコツを習得した法律家。


インテリゲンツィアは同胞に嫌われ軽蔑される。取税人はパリサイ人に、ヘロデ党員はゼロトに、威圧的な異文明を想起させずにはおかないからだ。インテリゲンツィアはふたつの社会の中にありながら、そのどちらにも属さない。しかも時がたてば失業の不安がインテリゲンツィアを襲う。


ピョートル大帝が一定数のロシア人「チノーヴニク」を、東インド会社が一定数の書記を、メフメト・アリーが一定数のエジプト人紡績エと造船工を必要とする。彼らは早速に人間の製造にとりかかるが、インテリゲンツィア製造は始めるよりやめる方がむずかしい。


黎明期のインテリゲンツィアは高給取りである。奉仕の受益者から軽蔑はされるが志望者は絶えない。インテリゲンツィアの増大に応じて雇用機会は狭まり、職についているインテリゲンツィアの周囲に、仕事にあぶれ世間からのけものにされた知的プロレクリアートの群れがひしめきあうようになる。一握りのチノーヴニクに無数の「ニヒリスト」が加わり、一握りの下級書記バプーに無数の「失意の学士たち」が加わる。


17世紀末から姿を現わすロシアのインテリゲンツィアは、1917年のボリシェヴィキ革命において積もり積もった恨みをはき出した。大学教育まで受けながら訓練された能力を活かせない下層中産階級が、ファシスト党ナチスの中堅になった。骨を折って自己を向上させても、資本家と労働者の間にはさまってつぶされる。ムッソリーニヒトラーを政権の座につけた推進力は知的プロレタリアートの憤怒から生じたのだった。