期待理論とリスク選好

Causes of War (English Edition)二つの選択肢を仮定する。Aを選べば$40の利益が確定する。Bならば50%の確率で$100の利得。さもなければ利得はない。社会心理学の実験に基づけば、多くの人はAを選ぶ。期待値はBの方が高い($50)にもかかわらず。


いま一つの選択肢を仮定する。Aを選べば$40の損失である。Bならば$-100と$0の五分五分である。多くの人はBを選ぶ結果となる。期待される損失は後者の方が大である。


最初の選択肢を提示されると人の行動はリスク回避型になる。二つ目の選択肢ではリスク選好になる。これらに共通するのは現状を維持あるいは回復したい心理である。選択肢1ではAを選べば現状維持は確定する。Bならば現状を維持できない可能性が出てくる。選択肢2でAを選ぶと現状は維持できない。Bならば損失の期待値はより大だが現状を維持できる可能性がある。


コイン投げを仮定しよう。表が出れば$100。裏ならば$-100。実験によれば多くの人はこのコイン投げをやらない選択をする。逆に、損失を受けたギャンブラーはリスク選好となり、掛け金を上げる傾向がある。


リスク回避のバイアス下では地位の向上よりも維持が優先される。戦争は野心よりも恐怖によって引き起こされる。しかしこの心理は一定の条件がないと働かない。


期待理論に参照点という考え方がある。結果が参照点より上ならば、人はそれを利得と認識する。人の行動は結果が参照点を上回るのならリスク回避型となり、下回ればリスク選好となる。


リスク回避は参照点=現状と見なすときに作動する。しかし参照点が現状の上に置かれ、損を積んだ感覚が生じると行動はリスク選好となる。選択2に類するケースである。Aならば損失が確定する。Bならば大損失か原状回復のどちらかである。この際、損失を抑えるよりも、大損失の危険を冒して原状回復の賭けに出てしまう。


抑止論では真珠湾攻撃は不可解とされがちである。劣勢を正しく自己認識しながら開戦する心理がわからない。期待理論は、参照点が現状を越えたためにリスク選好を引き起こしたと説明する。


前に政治の行政化の観点から真珠湾WWIの開戦に際したロシアの選択について議論した。第三者の参戦を損失と見なすフレーミングである。この見地からすると真珠湾はむしろリスク回避型の決定になる。


日本側には二つの選択がある。真珠湾を攻撃する(選択A)。南方作戦のみやる(B)。Aでは損失(アメリカ参戦)が確定している。Bでは大損失(無傷のアメリカ参戦)か利得(アメリカ不介入)の可能性がある。


オーストリアとの戦争に臨んだロシアにも二つの選択肢があった。ドイツにも開戦する。あるいは対オーストリア一本に絞る。前者はドイツ参戦という損失が確定している。後者は、ドイツ奇襲という大損失とドイツ不介入という利得のギャンブルになる。


参戦を損失と規定すると、参照点は現状を上回らない。現状は参戦が行われていないから、現状維持が参照点となり行動はリスク回避型となる。他方、政治の行政化論の世界観では、行政家の選択者は選択Aに確定した未来を、Bには不確実を見出す。行政が何よりも忌避したのは不確性であった。