マイクル・コニイ『カリスマ』

カリスマ (1981年) (サンリオSF文庫)「わたしを知ってるのね」と女はいう。記憶はないがその自覚はある。女には自分を取り巻く構造に自覚があり、その自覚が男を惹きつける。


女と再会した男は、この宇宙にはあの女はもういないと悟る。女の記憶が多元宇宙を渡り、男はそれを追いかける。しかし構造を自覚する女は構造そのものと化している。多元宇宙が人の目には女の形で現れている。


その多元宇宙には時差があり、暗い顛末が次々と予見される。相互に往来できる宇宙は多元宇宙をループ物へ接続し、男は何度繰り返しても失敗する。彼の焦燥により女の訴求力は高まっていく。しかし、多元宇宙の疑似ループに改変工学の余地を与えたのは、ぼんやりとした女の像ではなく社会の利害関係である。契約を巡るトラブルとそこから派生する殺人容疑が試行錯誤を男に強いる。未来に赴き自分の悪評を知ると、多元宇宙はオイディプスに転調する。別の宇宙の自分が、自分の知らぬ自分が諸悪の根源なのか。


利害と女の尻は長期的には一致するはずだが、状況は利害を優先させる。利害にしくじって収監されたら尻どころではなくなる。しかし、バーのカウンターに女の姿を認めると、契約の話を打ち棄て口説きにかかる。


彼女は彼女ではない。しかし男の記憶がないとしても男の趣味は同じはずだ。女は構造そのものである。『嵐の勇者たち』(1969)のラスト、パリ留学で渡航する吉永小百合を見送りながら渡哲也は嘆じる。


「おれのこと忘れてしまうだろう」


裕次郎が励ます。


「思い出させてやるさ☆」


忘れたとしても何度でも繰り返せばいい。男が口説けば女はたちまち呼応する。記憶は作り出すことで回復される。しかし、IDが薄明であるから構造として女は地上に定着したのであり、IDが自明となってしまえば女はその姿をとどめられなくなる。


受け手にとってはやはりこの恋は遡及的に追体験される。受け手に与えられる女の情報はわずかで好悪を決めかねる。男の想いは共有できる代物ではない。しかし再会してみると男とともに昂ってしまえる。男の焦燥を通して感情の共有が知らずに進んでいた。女は多元宇宙そのものだから、宇宙を往来する以外に女を把握する術はなかった。


社会の利害関係はこの構造には直接かかわらない。ただ、利害を解決した晴れ晴れしさが顛末の憂いのタメとなるような、奥ゆかしい関与をする。秋雨にたたられた海辺の町は憂いの構造を地勢化している。