キム・スタンリー・ロビンスン『未来省』

未来省(The Ministry for the Future)炭素の固定と引き換えに発行される仮想通貨が登場する。作中ではカーボンコインと呼ばれる。土地に炭素を吸収してコインを得ようと試みる農民の話には次のような文章が出てくる。


「小作農の尻をたたいて木や多年生植物を植えさせた」


作者は左派の人である。温暖化対策に貢献する農民を好意的に扱う。にもかかわらず彼に小作農を使役させ、左派にとっては最も忌むべき行為をさせてしまう。これはナイーヴすぎる。


現代貨幣理論を説明する件ではこう語る。


「政府は自動的にインフレを起こすことなく通貨を発行できる」


わたしは経済学の門外漢だから以下はあやふやな議論になる。


わたしの乏しい理解では、現代貨幣理論の世界観では通貨の発行は物資の供給能力に制約されるはずである。インフレを起こすことなく財政支出ができるのではない。インフレを起こすまでは支出ができるといっている。「自動的にインフレを起こすことなく」を必ずしも起こさないと解せば間違ったことはいっていない。


作者は現代貨幣理論を炭素固定のための財政支出を推奨する理屈に位置付ける。曰く2008年のQEではインフレは起こらなかった。供給制約が問題にならなければ作者の理屈は通るだろう。しかし作中の地球では海面上昇を遅らせるために妖星ゴラスのような膨大な土木が行われている。上原謙は国連の金欠を嘆いた。現代貨幣理論を援用する本作は負債を気にする必要がない。しかし世界中の氷河を弄り回す土木は需給をひっ迫させインフレを起こさないのだろうか。


流通の寸断に至ってはインフレが起きないわけがない。謎の環境保護過激派がドローンを使い化石燃料で飛ぶ旅客機のエンジンを詰まらせコンテナ船を次々と撃沈し、商用機の運航はほぼ休止してしまう。


作者はただ一行「インフレにもデフレにもならなかった」と地球の景況を説明するのみだが、インフレに陥った傍証はある。中盤以降には地球全体が戦時経済に移行する。その際にも作者はインフレには言及せず、経済の統制が排出量削減の手段として使われるように見える。統制経済は需要を統制して総力戦が引き起こすインフレを緩和する試みだから、作者の思惑はどうであれその導入は理屈に合っている。


ここにカーボンコインが絡んでくると門外漢にはお手上げになる。


坂村健による巻末の解説はカーボンコインを金本位制に比する。炭素の固定量を裏づけとするから無制限な通貨の発行にはならずインフレにはならないはずだ。巨大土木から予算の制約を外すために作者は現代貨幣理論の件で供給制約には言及しなかった。金本位制ライクな通貨はこの主旨と矛盾するように見える。この通貨で温暖化対策という戦争をやったら銀の供給を断たれたために兵士に給与が払えなくなり滅んだ明末のようにならないか。


カーボンコインは排出量を抑制するインセンティヴを与える。抑制があれば土木の必要は減じて限られた財政手段でも対応ができるかもしれない。土木が進み炭素が固定していけば資金はアンロックされていく。通貨と固定量の交換比率を操作すればどうにでもなりそうだが、それでは供給制約の問題に戻ってしまう。


断片的なアイデアが各所に羅列されるばかりで知識のないこちらには要を得ない。散らかった説明を集めて検討すれば疑問の答えはあるのかもしれない。しかしその作業をフィクションの読者に求めるのは不当であり怠慢だろう。


温暖化対策のアイデアに限らず本作は挿話の陳列であり本筋はないに等しい。戦時経済をやりたいのなら企画院やSSの少壮官僚に準ずる人々を出していくらでも話を作れるだろう。そんなものはでてこない。ただ中央銀行の若手が仮想通貨の導入に奮闘したと数行言及されるにとどまる。


未来省にはNERV的な諜報部がある。これが石炭火力発電所のトラブルに関わっていたりする。この路線で行くのなら、商用機を落としまくる過激派と諜報部のエージェントが接触し資金を流す話でもやればいいだろう。こういう現場の話は出てこない。土木の現場は氷河の下から水を抜く話がメインである。これは600頁中10頁もあるのか。


現場の話がないのなら何を語るのか。ヒロインと同僚たちが夜になればチューリッヒの飲み屋で休日になればアルプスに登り社会批評をやるのである。金を払ってSFを読もうとしたらヒロインのブログを読まされてしまった。


未来省もテロの標的となりオフィスは爆破される。作者はヒロインにテロには屈しないと叫ばせる。わたしにはわからない。温暖化対策のために旅客機を撃墜させておきながらヒロインにはテロに屈しないといわせる。わたしには異質の思考だ。


インドを熱波が襲うとたちまちヒンドゥー至上主義は沈静化してインド人民党は下野し、ついでに宗教対立はなくなりカーストは解消される。熱波に地球が襲われるたびに作者の信じる啓蒙が広がっていく。作者にとって温暖化は自分の信じる啓蒙を普及するための手段に過ぎないのだろう。