『枯れ葉』Kuolleet lehdet (2023)

職場に潜む不穏はことごとく気品ある顛末に至る。女に向けられる警備員の視線はセクシャルだが、彼が女にもたらすのは暴力的ではなく社会的な災厄である。バーの裏口で薬物の売買を女が目撃して不穏が仕込まれる。確かに累は女に及ぶが、警備員の件と同様に社会的災厄であり刑事にはならない。女がバス停に至れば若者たちが泥酔する男の懐を探っている。女はまたしても犯罪の現場に立ち会ってしまう。この不穏も梯子を外される。女の姿を認めた若者たちは立ち去る。続いて起こるのは不穏とは無縁のポエジーなイベントだ。ラジオがウクライナの戦況を伝えれば女はコンセントを抜く。戦況に感情を害されたと思わされる。失業した彼女は電気代を気にしたのだった。


男の周辺にも誤誘導を狙った不穏が仕込まれる。男は依存症である。職場は危険物に事欠かない。男が労働するだけでスリラーになる。常在する不穏感は老人たちにガット船を運航させた『冬薔薇』(2022)的だ。女と同様に不穏の働きは予想を裏切る。労災をもたらすのは飲酒ではなく設備の老朽化である。労災はこれもまた女と同様に社会的災厄に変形して男を襲う。やってきたパラメディックがアルコール検査をおこなうのだ。酒は男に労災をもたらすのではなく、むしろ物理的な危害から彼を遠ざけている。断酒に成功した途端に男を劇中で最大の暴力が襲う。


次々と仕込まれる誤誘導に男と女は翻弄される。彼らはすれ違いを強いられる。女が男に番号のメモを渡すだけで緊迫する。意図が外される趣向ならば、あのメモは失われるに違いない。男がディナーに誘われれば段取りの話だけですでに危なっかしい。今度はちゃんとたどり着けるのか。断酒した男を女は嬉々として自宅に呼びつける。ディナーには行けたのだから今回もすれ違いはないだろう。予断が生じディフェンスが解かれると災厄が襲う。不穏に備えると肩透かしを食らう。入院先のナースがツンツンしてカワイイ。ツンツンした人しか出てこないのではあるが。退院する男にナースは元夫の衣類を送り最後まで不穏な予感を掻き立てる。


すれ違いは不穏になるばかりでなく、時として事態をポエジーにする。バス停で男は前後不覚だった。目を覚ました男には、先ほどまで眼前にいた女の示した好意を知る由もない。バスで去った女は泥酔していた男に好意が伝わるとは期待していない。伝わると分かれば示さなかっただろう。出会うために彼らはすれ違う。男は金曜カラオケの誘いを拒む。


「強い男は歌わない」


バリトンの友人は納得がいかない。


「お前は強くないだろう」


男を酒に走らせたのは彼に内在するこのすれ違いであり、男を女に引き合わせたのもすれ違いである。バリトンがステージで歌う。詩が二人の気持ちを定義する。詩は彼らのために書かれたわけではない。それは本来の意図を外れ二人の感情の定義に援用される。男と女は詩に促されるまま惹かれ合ってしまう。


バス停では男に意識がないからこそ女は男の痛ましさを発見できてしまった。未来を失った男に対する女の感応はニーチェ的だ。女の友人はオスを本来的にこわれた生物と定義する。女はオスの捨て犬を拾わずにはいられない。こわれた本性という自然に黙々と殉じる生物に彼女は感応する。男に感化を与えることで自然に挑戦している。男を変えられるのは女しかいない。


女は犬に名前をつける。その名は男と女を突き動かす機制そのものを表している。自然に殉じる男とそれに惹かれる女は俯瞰視され牧人の視座におかれる。