『すばらしき世界』 (2020)

役所広司の就職を祝う席で怒涛のように立てられるフラグを見よ。みな口々に役所の憤怒調節障害を面と向かって指摘する。酒の席とはいえそれを当人にいったら不味いだろうと、無神経でハラハラさせつつ、職場では絶対に爆発してはならぬと、これもまたしつこく戒めてきてこれ見よがしにフラグを立てまくる。しかしここには俗謡調の迫力がある。作者の資質が活かされたというべきか、決して悪い効果にはならない。散々、爆発するなと煽ったおかげで就職先の特養がスリラーになるのだ。


これなどは仕込みから回収まで間がなさすぎな伏線にもならないフラグであるが、かかるフラグを内包する形でより長く穏やかなフラグも設定されている。これがいけない。あるいは意味がわからない。


重症高血圧で安静にしてろと医者に言われている。その割に運動に躊躇しない。不可抗力で運動を強いられるのはフラグに則したふるまいである。しかし養護施設でサッカーをやるのは何なのか。この場面がいかにもな美談調であるから、いや運動ダメだったんではと混乱する。


ともに興じる仲野太賀もわからない。彼は短期フラグのビーストモードについては冒頭で言及したように無神経なくらい諌止を試みる。ところが肝心の生命にかかわる運動には何も言わない。むしろこの場面では推奨の気さえある。


フラグはフラグじゃなかったのか。しかしこれが命取りになりフラグは回収される。伏線隠しの誤誘導と好意的に解釈できないこともないが、これも作者の邪念で台無しになる。


人生これからの時に自室で頓死する役所。カメラはアパートの俯瞰からパンアップし画面は蒼空となる。そこに浮かぶ「すばらしき世界」。あざとさに震えあがった。作者の邪念に満ちたドヤ顔が心の中でスーパーインポーズした。なぜこの対位法があざとく見えるのか。


節制の結果の頓死であればこの対位法は活きる。不条理が世界を俯瞰視するからだ。ところが役所は不可抗力でない無茶も大いにやった挙句に頓死に至ったのである。そりゃそうだろうと因果を含めてくるノリになれば対位法が成立しない。


長澤まさみの造形などは作者のこの不思議感覚を体現している。長澤はサイコであり、作者も最初はそのつもりで彼女を扱っている。ところが焼肉屋で長澤が取材の意義を滔々と語り始めると、サッカーの場面と同様の混乱を覚える。カメラワークを見ればサイコ扱いが唐突に終わっている。作者が長澤をどう扱いたいのかわからなくなってしまう。


役所についていえば、素の状態とビーストモードの落差を統合するものは考慮さていない。かといって多重人格ホラーの叙法でもない。人間の二面性を狙うではなく、二面性があれば人間が成立すると想定するのである。理念優先型と言わざるを得ない。