グレッグ・イーガン『シルトの梯子』

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)毎度のパターンである。文明的な優越感を覚えたいが、リベラルの心性がそれを許さず、婉曲にやるしかない。結果、事態は多義的あるいはアイロニカルになる。


マーガレット・ミードがサモアの被験者に騙された話の宇宙版が出てくる。数千年冷凍保存されたジェンダー調査隊が諸惑星を探訪する。保守的な性差観をもつ彼らを喜ばせるために、未来人は儀式をでっちあげて未開人の振りをする。優越感を覚えるゲームが倒錯している。


作者はリベラルだから保守的なこの21世紀人に辛辣である。わたしはむしろ彼らに哀感を覚えるから、このエピソードにいい印象はない。


主人公少年はアーミッシュ星の住人である。年上の幼馴染がいる。幼馴染はアーミッシュの文明否定にイライラして、少年に当たり散らす。


この姉御は成人して保守化する。あるいは文化相対化して主人公男の政治観と対立する。対立のきっかけは宇宙的災難であるが、これがよくわからない。


事故で発生した謎空間が気長に広がりつつある。謎空間には立ち入れない。これを巡ってふたつの派閥が対立している。謎空間撃退派と空間から逃れて延々と移住する派である。なぜ対立するのか理由がよく解せないのだ。移住派は謎空間内に生命のあることを恐れる。この世界では地球外生物の撲滅は禁忌である。撃退するなんてとんでもない。


主人公は移住派で地球外生物に気をやるのだから、文化相対的といえる。姉御は姉御で謎空間撃退の正当化を文化相対的にやる。謎空間の進出で故郷を失った人々のノスタルジーを憂慮し、空間を撃退して故郷を取り戻したい。主人公男は姉御の理屈に共感しない。やはり人類学的な例えを出してくる。未開の風俗は変えるべきであり、変わっていくものだから、ノスタルジーは無意味であると説く。姉御は文化相対主義者である。変わるときは自分から変わるべきであり、外部の強制はダメだと応じる。男曰く「その変化の間、どれだけ息苦しいか」。アーミッシュ村の頃とは立場が逆になっている。


このエピソードには理念優先の嫌いがある。謎空間を巡る対応とここで交わされた人類学の話題を絡ませるのは無理筋だろう。


しかし、事情や造形の多義性や流動性が筋の美的価値に貢献する場面もある。対立の無理筋さは派閥闘争自体への嫌悪を招く。反動としてノンポリのAIたちが好ましく見えてくる。


ある場面で主人公男はAIの判断を否とする。ところが姉御は信頼する。AIが好きになっている読者ならば姉御に好意を寄せるだろう。


姉御にイベント対処をさせて見せ場を作る場面もある。また、主人公に求愛するキャラを登場させ当て馬として使い、主人公男を姉御にドキドキさせる。


なぜ作者は急に姉御を持ち上げるのか。姉御の父権的性格を転義する試みのように見える。謎空間は地球外生物を含有していると判明し、それを保護するオチになる。あくまで保全のニュアンスであるから、優越感を得たい邪念がようやく露見するのである。謎空間に突入してやっと円滑な活劇になるのだが、これは邪念に忠実だからこそと思う。