『余命10年』(2022)

『ヤクザと家族』(2021)の舘ひろしは、ナメクジのような表情と声音の展性でオヤジのナルシシズムをねっとりと演じ、館内を爆笑の渦に叩き込んだものだった。しかし、後半で死病に至ってしまうと、ナルシシズムの粘着的な間の取り方が老人の生理とかみ合ってしまい、一転して彼はリアルな病人となった。


本作の小松菜奈も病人であるから舘の粘性が援用されるのは自然であるが、粘性のその間合にあってこそ小松の生来的なジト目は湿っぽく輝くのである。その蠱惑はまるで手練れの毒婦のように男を焦らし尽くす。もう頃合いだろうと坂口健太郎が距離を詰めるたびに、意味あり気に身を引きかえって男を猛らせる。絡んでくる坂口の指先をそっと拒み、ハグをようやく許したと思えば脱兎のごとく部屋を飛び出す。老練な芸妓の駆け引きである。


配役もマンガである。小松父の松重豊はいかにも松重がやりそうな芝居をする。坂口のバイト先の大将はリリー・フランキーである。


最近だと『ある男』(2022)の柄本明と『そして僕は途方に暮れる』(2023)のトヨエツが登場の瞬間に館内を爆笑させたが、今回は焼き鳥屋に行ってみたらリリー・フランキーがいて、しかもこのリリーはいかにもリリーの言いそうなことを言う。配役は思考を停止している。しかしこのステロタイプが活きてしまう。


黒木華を一撃で泣き潰した小松のもたらすストレスは、朴念仁の松重には静かに侵すように効いてくる。この浸潤するような感化がストレスに立体感をもたらす。


リリーが如何にもリリーの言いそうなことを回想して言う。初めて見た坂口は頼りない男だった。それ今ではどうだ。何とカッコいいでないか。


基本的には話の内容は頭に入ってこない。小松菜奈のかわゆいお顔にニヤニヤするのに忙しく内容は二の次なのだが、このままニヤニヤして終わってしまっても十分に元は取れただろう。しかし、本作もまた癒し泣き系の作法を踏まえていく。問われているのは小松ではなく坂口の人生である。


坂口は小松にプロポーズしてその晩結ばれる。翌朝、小松は立ち去る。曰く、坂口が傍にいると覚悟が完了しない。


坂口は独立して焼き鳥屋を開業し、いよいよカッコよくなる。店名は小松の名である。リリーは坂口の未練をキモがる顔を一寸する。坂口は自嘲気味に言う。そうつけずにはいられなかった。


秒速5センチメートル』のヒロインを別れた女の名前にした新海誠の神経を疑ったものだった。今では落涙を禁じ得ない。そうつけずにはいられなかったのだ。


死の床に際した小松はこの期に及んでも手を緩めてくれない。坂口に自伝小説を送り付け未練を訴え、男に負荷をかけまくる。坂口は血相を変えて路上に飛び出し、病院への道を急ぐ。


不憫なのは死にいく小松ではない。坂口である。なぜここまで男を追い込むのか。なぜここまで男は追い込まれるのか。リリーがこれに答えるのである。恋のストレスが男をカッコよくしてしまう。小松に恣にされてきた坂口はリリーを媒介にして人生の主導権を取り戻していた。


病室で坂口は小松をねぎらう。自分を廃人にしてまで男を駆り立てた女を讃える。


感化を試みるメスの科は利己的行為にすぎない。しかしそれこそが世界を変えるのだ。小松菜奈は坂口を駆り立て、この地上に小洒落た焼き鳥屋をもたらし、篠原美香は新海誠を駆り立て、この地上に大興行をもたらしたのである。