『ドクター・スリープ』Doctor Sleep(2019)

成人したダニーはユアン・マクレガーとなり、依存症で生活を荒廃させる。これはタイプキャストの笑いであるが、実際にやることは一般文芸に近い。ホスピスには死臭を嗅ぎつける猫がいる。夜な夜な猫は臨終を迎えた老人の足元に上がり、フフンと死にざまを観察する。生意気な感じが可愛く世界ネコ歩きの趣だが、老人たちはみな同じ恐怖をユアンに訴える。あの世がないのが恐ろしい。


この文芸調子が、並行して叙されていくオカルト連合赤軍の野外活動を耐えがたいほど漫談調に見せる。キューブリック調を台無しにしてしまい、オカルトへの憎しみを煽りたてる。


オカルトを退治するのは少女と汚らしいオッサントリオである。ジャンル化でユアンタイプキャストの悪乗りは止まらなくなり、フォースを伝承する師弟関係の連鎖に彼は自らの宿命を見出してしまう。


少女は父の死に動じない。そのダンディズムは構成の定石を歪めるほど最初からガンギマっている。オカルト連合赤軍は初手からボコボコにされ、中盤を越えた段階でほぼ全滅する。しかも、しょぼくれたオッサンたちに突如宿った射撃術によって。


溜飲が下がること甚だしいが、まだ三分の一以上の尺が残っている。これ以上何を語ろうとするのか。


オーバールックホテルにレベッカ・ファーガソンをおびき寄せ、貞子vs伽椰子をやるのはオーバーキルだろう。最初からボコボコにしている相手に、そこまで大仰にする意味がわからない。ユアンもやることがなくホテルをぶらついて懐かしの名所を巡回した挙句、最後は例のバーでジャックと対面してファンサービスに余念がない。ユアンは断酒して八年になる。ジャックというかヘンリー・トーマスは禁を破るよう誘惑するのだが、そこはやはり一般文芸調で、オカルトよりも飲酒の誘いの方がよほどスリラーしている。


レベッカは片手間に退治される。炎に包まれるボイラー室でユアンが出会うのはおかんウェンディ。ユアンもダニーに戻っている。シャイニングはジャックよりもウェンディの顔の方がオカルトだと揶揄されてきた。ボイラー室でわたしはウェンディに泣いて土下座にするのだが、こちらのウェンディは相当美化されているので、ルッキズム的な後ろめたさがある。ユアンの主観が反映されているのだ。


ユアンは父に棄てられた。二十歳のとき母はオカルト死した。その惨状を直視できなかった自分をユアンは責め続けている。時計仕掛けのオレンジからシャイニングを経てA.I.に至るみなしごの感覚がボイラー室で対処されようとしている。ウェンディは待っていたのだ。


小さな誤誘導が大きなそれに包摂されている。自室に戻った少女はユアンと冒険を振り返り、彼がホテルから脱せたと思わせる。少女の相手はオビ=ワン化した霊体のユアンである。少女が大人たちの死に動じないのは死後も先があると知っていたからだった。


ホスピスの老人たちの訴えこそ、話が解決を目指していた課題だった。オカルト退治はその提起を目くらますための捨て石に過ぎない。オカルトたちのあっけない顛末に対する違和感は、誤誘導を本筋と思い込む認識の間隙に生じたのである。