業田良家 「ペットロボ」『機械仕掛けの愛』

 観測者が匿名でなければ尽力は実効的にならない*1。見られた瞬間に、尽力の実施者にも観測者にも下心が生じかねない。観測者は他人の善行を観測しておきながら、自らの観測に気がついてはならないのである。観測しているのはあくまで無意識であり、観測者にもたらされるのは正体の知れぬ感傷である(『一週間フレンズ。』)。ここにおいて尽力者の尽力は、観測者へ正体の知れぬ感化を与えることで、観測者の内に間接的に表れる。尽力をやったという尽力者の自負もまた軽減されるのだ。
 『サウルの息子』は観測者のかかる無意識をより徹底している。尽力者の尽力の来歴に全くの無知である観測者が尽力者をただ一瞥するだけなのだが、アイロニーの様式によって尽力者は尽力を見られたという感覚を手に入れてしまう。かつ、アイロニーの確定のなさが尽力者の下心を緩和するのである。
 
機械仕掛けの愛 1 (ビッグ コミックス)
 尽力を匿名化は観測者の匿名性を担保するのではなく、逆に尽力者を匿名にすることでも陳述できる。業田良家の「ペットロボ」では、尽力者が自らの尽力を認知できない。尽力者の方が記憶を失っているからだ。ここにおいては、観測者の利己心が観測の匿名性によって減じられる関係が逆転している。観測者が観測していたと強く意識するほど、観測者の私心のなさが証明される。尽力の記憶のない尽力者に観測者の想いがとどくはずがないからだ。ただ、尽力者にあっては尽力の痕跡が、この場合には記憶ではなく肉体に残っているのである。

*1:匿名の観察者を参照。