第9話「南極恋物語(ブリザード編)」『宇宙よりも遠い場所』


 不可解な箇所はふたつある。いずれにおいても、紅旗征戎に直接には触れたがらない深夜アニメにしては生々しい話題が唐突に挿入される。不利な観測ルートを割り当てられた敗戦国の悲哀が回想されるのだ。
 わたしにはこの唐突さに思い当たるものがあった。小津の『秋刀魚の味』である*1。作中、加東大介に連れられて笠智衆岸田今日子のトリスバーを訪れる。そこでかかった軍艦マーチに際して「どうして日本は負けたのですかね?」と加東が笠に訪ねる場面が中盤にある。なぜごく個人的なホームドラマにかかる広凡な話題が前触れなく出てくるのか。『よりもい』も『秋刀魚』も、文脈から逸脱した敗戦のトラウマはその場限りの話題として一端は切り上げられ、話は何事もなかったように進行する。これが伏線だったとわかるのは結末を待たねばならない。しかし『よりもい』の結末では、また今一つの不可解が生じる。南極に上陸した報瀬が「ざまあみろ」と快哉を上げてしまう。彼女は母の喪失を確証するため南極を目指したのであり、直前の場面まではその感傷が執拗に追及されていたはずだった。だが、実際に上陸して表明されたのは、南極行きを夢想だとして嘲弄したクラスメートへの卑近な憎悪である。語り手もこの不自然に自覚があり、日向に「そこかよ」と突込みを入れさせる。ところが、報瀬の快哉に観測隊員らも「ざまあみろ」と呼応するのだ。敗戦のトラウマの伏線が回収されるのである。
 『秋刀魚の味』のラストは、娘を嫁に送り打ちひしがれた笠智衆が軍艦マーチを口ずさむところで終わる。中盤の敗戦のトラウマが人生の敗戦のアイロニーだったと判明し伏線が回収される。『よりもい』も同様だ。報瀬の怨念が民間の観測隊に対する嘲弄へのそれへと拡張し、更には敗戦のトラウマへと一瞬のうちに昇華する。やってくるのは、個人の負い目が社会的な負い目に紡がれて生じる戸惑うような高揚だ。そして直後、スタッフクレジットに突入するや、この日本語話者のための、超ドメスティックな話数がD.R.MOVIEの下請け回というオチが来て、ますます意味深くなるのである。

*1:家族の敗戦を参照。