鳥居民 『昭和二十年 第一部 (5) 女学生の勤労動員と学童疎開 【4月15日】』 [1994]

昭和二十年 第一部 (5) 女学生の勤労動員と学童疎開 【4月15日】
理工系の学生と違って法文科は前線送りだからイヤだ、とは前に触れた。商科だったら短現で主計科に行って、造兵部の火工工場に配属されちゃうかも、ということも触れた。そこで勤労動員の女学生にモテまくるにちがいない。霞ヶ関の会計課に勤務する手もある。女子挺身隊の甘酸っぱさとはまた違う趣があったらしい。

煉瓦建ての海軍省庁舎の中庭で、昼休みに軍楽隊の演奏があった。中庭、そして庁舎の窓は肩を寄せあっている人でいっぱいとなった。すべては女子理事生だった。赤煉瓦の窓という窓を埋めた色とりどりの色彩がリズムに合わせて揺れ動くさまは、魅惑の国にいるかのようだった。(81頁)

霞ヶ関の職員4000名のうち半数くらいは若い女性ではないか、と早稲田の政経から海軍の経理学校へ行った重松二郎は推測している。影響力を広げようとした海軍は、好んで実力者の娘を採用したそうだ。



学生のとき、簿記の授業を莫迦にしたものだが、考えをあらためなければなるまい。しかし陸軍の初年兵が主計科の講習(実はトラップでフェイク)を希望して「そんなに楽したいんか」とメンコ喰らった、という話も聞いたことある。



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イギリス。護衛艦の艦長が護送船団を指揮する訓練を受けた。そのシミュレーション実習でのひとコマ。

かれの背後で、船団の右側に空白ができてしまいましたと注意する声がした。振り向けば、まだ二十歳を超えたばかりの若い女性だった。こんな小娘に教えられるのか、何十年も船に乗ってきた自分はもはや時代遅れなのかと、五十に近い艦長は気落ちすることにもなったのである。(79頁)