蒼白な混擬土の天球に座り、君は僕のことを嗤うだろう (1)



1.世有伯楽



久しぶりに電気街へ出たのだから、帰りはメイドカフェに寄って、雪をたらし込むことにした。当時この女は日比谷のリベルテを拠点に、あまたのご主人様へ奉仕の限りを尽くしていたのだ。丸の内三丁目という場所柄もあって、いったいどれほどのサラリィマンが歓喜のあまり、向かいにある日比谷濠に転落したものだろうか。わが輩もムフフフと鼻息も荒く車を走らせ、商工会議所の隣にあるテナントビルの二階へ駆け上がった。何しろわが輩は後に雪を専属とすることで、多少なりとも人類の福祉に貢献する身の上なのだ。だが、応対に出てきた真幌に、いかにもメイドさん好みな声色で雪の「ひざ枕&耳掃除セット三時間コース」を所望すると、「今日は欠勤である」と返されてしまった。さすれば、今日のところはこの真幌でもたらし込もうか。しかしながらこやつの恬澹たる母性の物腰は時に愛の信憑性を損なって余りあるものがあり、帰りに日比谷濠へ転落したい気分になったことも度々だったから、今日は手を出さざるべきか……などと入り口のカウンターでしばし佇み煩悶しておると、奥の衝立の向こうから聞き覚えのある豪快な笑い声が聞こえてきたのだった。覗いてみると高岡が、クラレットを片手に病的なメタボ腹を揺らしながら新人とおぼしきメイドさんをたらし込んでいた。



「高岡じゃないか。珍しいな日比谷に出てくるなんて」



「やあ、これはまずいところを見られたな」



普段の高岡は大陸の外縁を駆けずり回っているか、さもなければ五反田界隈のメイド魔窟に籠もっているような男である。歩くたびにたびに波打つメタボ腹はどうかと思うが、実に金離れがよく、また女性に話題を合わせる手管など心得たものだったから、イスタンブルでもハバロフスクでもしこたまモテた。



「聞いたよ、ナホトカあたりを荒らし回ってたそうじゃないか。どうだい、つるぺたの掘り出し物は見つかったかい?」



「それなんだが、実はそろそろ足を洗おうかと思ってるんだ。僕もいい年だしな」



高岡は誤魔化すように笑ってグラスを置いた。



「勿体ない話だ。君程のブローカーを見つけるのはたいへんなんだぜ。これから不便になるな」



「いい男を紹介してやろうか。中川といって、僕の下でやっていた奴だが、今度独立したんだよ。こいつも相当な目利きだ。保証してやる」



「助かる。つるぺたの良いのが出たら知らせてくれるよう伝えてくれ」



こうしてわれわれは別れたのであったが、それからの半年程は、宮崎あ○いの婚約騒動で焦燥した挙げ句、夜な夜な癲狂院の回廊を彷徨ったり、あるいは雪をリベルテから引き抜くための金策に奔走したりと慌ただしく過ごし、中川から知らせが入ったときは、つるぺたの件を半ば失念していてた。どうやらウスリースクの貧民街でとんでもないつるぺたが見つかったらしい。画像は後日送るとあった。



三日後の朝、郵便受けに投函された宛名のない封筒を雪が怪訝そうに寝床まで運んでくると、わが輩はさっそく引ったくって彼女を追い払い、 嫣然としながら封を破った。むろん自慰に耽るためである。しかし中から出てきたたった一枚の写真にあったのは、煉瓦塀の前で塵埃と垢にまみれながら萎れたように寝そべる中年おやぢの締まりなき全裸体であった。びっしりと密集した灰色の頬髭の間からは、眠たげな蒼い瞳が虚空を覗いておる。



わが輩は即座に携帯をつかみ取った。



「こいつはとんだ食わせ物だぞ。俺が頼んだのはつるぺたなんだ。よくもこんなエタノールアンモニアの香り立つ生き物を見つけてきたものだ」



高岡は電話の向こうで虚を衝かれたようだったが、直ぐに「そうかそうか」と浮ついた声を上げはじめた。



「すごいぞ。中川の奴、相当腕を上げたな」



「何を言ってるんだ!」



「あいつの目に映ってるのはつるぺたの善性そのものなんだ。些細な外見の特徴なんて目に入らないのさ。君の見るその汚らしいおやぢとやらはおそらく表皮に過ぎないのだろう。中に潜むつるぺたのな」



なるほど、いよいよそのおやぢが到着してみると、酒焼けをした赤黒い皮を被ってはおるが、施されたワンカップ大関大吟醸を薄のろく物憂げに吸引するありさまなどは、まことに天然の秘蹟の創造せるつるぺたの、神々しき風采そのものであった。(つづく)