『東條内閣総理大臣機密記録 東條英機大将言行録』

 Darkest Hour には車を降りたチャーチルが単身で地下鉄に乗って民情視察をやる場面がある。これは虚構なのだが、東條英機(以下ヒデキ)は実際に同じことをやっている。昭和19年4月30日。この日は日曜で玉川の私邸から官邸へ向かっていたヒデキは洗足で車を降り、東急、省線、地下鉄、都電を乗り継いで官邸へ戻っている。
 チャーチルの虚構の場面とヒデキの動静の記述は比べてみると色々と興味ぶかい。
 チャーチルの映画には警護の人間が出てこない。会議映画だからそれでも不自然はないものの、地下鉄の場面になるとさすがに戦時下のPMが護衛なしに出歩くのか気になってくる。
 Barry SingerのChurchill Styleによれば、実際はDetective Inspectorが一名警護についていたことがわかる。では、ヒデキの警護はどうだったのか。
 ヒデキもチャーチルも視察が大好きだ。『機密記録』にはヒデキが地方視察や伊勢神宮参拝をやるたびに随行官の名前が記載される。大臣秘書官にまじって憲兵曹長ないし軍曹の名が一名見える。憲兵なのは陸相兼任だからだが疑問は残る。地方視察だから特別に警護がつくのか。普段から警護の憲兵随行しているのか。おそらくチャーチルと同様に普段から警護がいるのだろう。しかし確証がない。これが明らかになるのがヒデキが地下鉄に乗った件なのである。「駒内憲兵軍曹のみ帯同」とあり普段から警護があったことがわかる。玉川の私邸も規模は不明ながら警護されている様子が本書後半に見える。

 朝日の陸軍記者だった高宮太平は戦後、軍人の評伝を幾冊か著した。その中のひとつ『昭和の将帥』の文中ではヒデキは天皇のことを天子様と呼んでいる。一人称は「俺」「僕」で高宮には「君」である。『機密記録』のほうにも「俺」が一か所でてくるが不審なのは天皇の呼称で、『機密記録』のヒデキは天皇を御上と呼ぶ。上奏の帰りの車中で「今日も、御上にやりこめられちゃった」と秘書官に愚痴ったりする。ヒデキの性格を鑑みるに天子様は如何にも使いそうな呼称である。一方で御上は使うのかどうか。「天子様」が出てこないから「御上」は動静の記録を点けた秘書官の鹿岡円平の書き換えのように思われてしまう。あるいはヒデキは使い分けたのか。本書の後半にある廣橋眞光の手記に入って、ようやく天子様という呼称が出てくる。陛下という呼称も廣橋の手記には見える。

 『激動の昭和史軍閥』でヒデキを演じたのは小林桂樹であった。外貌も言動も桂樹そのままでカミソリな感じからは程遠い。原田眞人版『日本のいちばん長い日』で中嶋しゅうが演じたヒデキは外貌からしゃべりかたまでヒデキそのままである。これが癇癪をおこしまくる。こわい。
 『機密記録』で要人と会談するヒデキは頻繁に冗談を飛ばす。廣橋メモに残る秘書官に対する言動からも、基本的にはパターナルな人なのだが中嶋しゅうのようなヒデキ像は見えてこない。外貌は異なるものの桂樹の方が案外近いような印象を受ける。ただ『軍閥』にも高宮本にも桂樹と中嶋をつなぐヒントはある。
 『軍閥』は戦局悪化のストレスで桂樹が鬼神化してしまう、堀川弘通らしい話だった。首相時代のヒデキに幾度か対面した高宮も、不機嫌と自嘲にまみれたその姿に驚きを隠さない。

 昭和19年秋、内閣瓦解後のヒデキが閑居する世田谷の自邸を高宮が訪れたことがあった。ヒデキは庭の防空壕を案内し自慢したあと、焚火に当たりながら昔話をする。ヒデキは寒がりだ。そのときは妙な毛皮のコートを羽織っていた。「毛布の仕立直しですか」と訊くと「冗談じゃない、これは徳王(蒙古の王様)が贈ってくれたんだ、羊毛だぜ、上等の羊毛なんだ」という。そのうち令嬢たちも庭に出てきて他愛もない話で盛り上がる。
 すっかり少将ごろの「東條さん」に戻っていたと高宮は回想している。