造形の配分序列をプロットの連結規則に依存させる文芸的な余地は、いちおう認めてもよい。たとえば、情のある浮気者という整合性の危うさは、愛の広汎性と取引できるだろう。他方で、プロジェクト描画に対する社会的検証の不在は、物語のプロトコルを積極的に破壊せざるを得ないし、そうなると、語り手の裁量が強調されることでもたらしうる利得の方を考えてみたくなる。緩和された動機の査定は、視点操作の流動性とそこに伴う物語の時間的な延性をもたらしたのかも知れない。あるいは、恣意的な幸福として、前向きなシニスムへ援用されたのかも知れない。