家族の敗戦 『秋刀魚の味』


秋刀魚の味』の設定では、戦時中の笠智衆駆逐艦の艦長でした。部下には若き日の加東大介がいます。戦後二十年近くを経て、この二人は東野英治郎のラーメン屋で再会しました。加東は岸田今日子のトリスバーに笠を連れ込むと、軍艦マーチを聴きながら嘆じます。



「ねえ艦長、どうして日本は負けたのですかね?」



先回の議論を経たわたしどもには自明でしょう。加東が一航艦の作戦参謀に配され正規空母四隻をぶっ飛ばしたから、日本は敗北したのです。



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秋刀魚の味』には三つのサブプロットが認められます。ひとつは佐田啓二岡田茉莉子のストーリーライン。彼らは笠の息子夫婦です。もうひとつは東野英治郎杉村春子。東野は笠の恩師であり、杉村は東野の娘です。そして東野のサブプロットから派生する形でセットアップされるのが、冒頭で触れた加東大介の件です。



これらのプロットの内、佐田夫妻と東野親子の役割は明快です。



佐田は同僚の吉田輝雄からマグレガーを譲り受けたい。けれども嫁の岡田はそれを許しません。このセットアップ時点では、メインプロットとの関わりは不明瞭で、つまり笠の娘である岩下志麻を嫁にやるラインとマグレガーとのつながりが見えてこない。ところが同僚吉田にたいする岩下の横恋慕がわかると、プロットは円滑にメインへ回収されます。



東野英治郎杉村春子のプロットは、回収されるというよりも、捨て石にされるといったほうが適切かもしれません。杉村はとうに婚期を逃しています。東野は自責の念に駆られ後悔の日々を送っています。笠は娘の岩下を早く片づけねばと恐怖したところで、加東大介と出会うのです。



問題は、加東大介がセットアップしたトリスバーの位置づけです。加東は軍艦マーチを聴きながら、敗戦について思いを巡らせました。笠は岩下を嫁にやった夜、再びここを訪れています。店内に軍艦マーチが流れると、彼の傍らの客が「負けました」「負けました」とにこやかに応酬を始めます。しかしトリスバーで扱われるこの手の話題は、執拗に反復されるほど、笠や岩下のごく個別的な物語から浮き上がってしまう。では、どうすればこの間隙を埋められるのか。



東京物語』では、原節子の解説に個別的な家族史と広凡な近代化論の折り合わせが任されました。上京した笠智衆は、長男の山村聰と長女の杉村春子に邪険にされる。次女の香川京子はその仕打ちに憤って、原節子に愚痴る。すると原は慰めを言う。



「みんなそうなってくんじゃないかしら…。だんだんそうなるのよ」



彼女は「みんな」という言葉を使い、笠智衆というサンプルを教科書的な近代化論に接収したのですが、この関係が『秋刀魚の味』になると逆になります。



秋刀魚の味』のラストシーンで軍艦マーチがどう扱われたか見てみましょう。まずそれは泥酔した笠智衆の口から、肉声として漏れてくる。そこに斎藤高順のアレンジが被さり、ショットは岩下が去って人影のなくなった笠宅の廊下と階段を通過し、主を失った岩下の部屋へ向かう。われわれはアレンジされた軍艦マーチを通して、笠智衆がもうひとつの敗戦を迎えたことを知るのです。人生という敗戦です。



敗れたのは笠ひとりではありません。杉村春子は婚期を逃し、東野英治郎は後悔に苛まれています。岩下は本命だった吉田輝雄と結ばれることはありませんでした。彼女は失恋の反動として結婚を決意しました。『東京物語』とは逆に、今度は敗戦という広凡な経験が個別的な家族史の演出に援用されるわけです。



東京物語』から10年を経て、小津は家族史と社会史の間隙を乗り越えるのにもはや台詞を必要としなかった、といえるでしょう。SP音源であった軍艦マーチが笠の肉声を経由して、斎藤高順の劇伴へと組み込まれる音響演出と、岩下の去った家屋を敗戦の焼け跡のように切り取った数カットのフィクスが、台詞の代わりをなしたのです。