髭メガネ爆誕・第3新東京市


『女は二度生まれる』('61)は富士見町の花街が舞台で、隣接する靖国の境内が時折ロケーションに用いられます。境内の様子は半世紀後の今日とあまり隔たりがありません。若尾文子藤巻潤のダイアローグが境内の中で長々と進行すると、時代の見当識が危うくなります。藤巻はやがて若尾に別れを告げ、南門から靖国通りへ出て行きます。カメラは藤巻をフォローし、フレームには何気なく九段南の町並みが入ります。われわれはそこでぎょっとするわけです。三丁目の夕日な町並みがいささか暴力的に、ここが現在でないことを喚起したのです。




演出の川島雄三にとって九段南は「三丁目の夕日」ではなく日常ですから、フレーミングが何気ないのは当たり前でした。したがって、ここで『エヴァ破』の景観ショットを比較として持ち出すのは不公平なのですが、藤巻潤の後背に写り込んだ無造作な町並みが何気ないからこそ暴力的な効果を発したことを考えると、わざわざ他作の劇伴を持ち込んで強調せねばならなかった第3新東京市の景観描画に合理性を見いだせないのもまた確かだと考えるのです。シンちゃんやミサトさんの後背に何気なくあってこそ日常であって、「第3新東京市にも日常があるんですよ! 見よこの朝ラッシュ」と目を剥かれると、日常は途端に霧散しかねない。3Dキャラの闊歩する第3新東京市の雑踏とセルのキャラが芝居するNERV本部のセットが互いに異質なまま放置されるのです。



それでは、なぜ第3新東京市の景観が作品全体の整合性を侵してまで誇張され記号化されねばならないか。これは、ロケーション撮影ほど潤沢になり得ないアニメの情報量を演出家が全く信用しないからでしょう。そして、情報量への不信から異質な映像文法が併存する様を、われわれは昔からよく見てきたはずでした。たとえば本編と円谷特撮が反目する松林宗恵の戦記映画です。



ここでまた『太平洋の嵐』を振り返りましょう。鶴田浩二の艦攻隊が真珠湾を襲う件です。オアフ島に侵入した艦攻隊はモクレイアの森林地帯をLOEします。円谷は圧搾空気を用い樹木を揺らすことで、風圧を表現しています。まず艦攻隊が正面から飛来するカットで、艦攻二機に挟まれた巨木が揺れる。次のカットで、この巨木が別アングルの寄りになって揺れる。ジャンプカットを使ってまた揺れる。その次のカットでは、2カット前の寄りの絵になって揺れる。けっきょく四度も同じ樹木が揺さぶられる。一回で充分だと思いますが、どうしてこんなに執拗なのか。円谷はミニチュアワークの情報量を信用しないのです。繰り返すことで誇張し半ば記号化せねば耐えられないと考えたのです。



わたしどもは邦画やアニメのロマンティシズムを、意識が時間を従わせる文法だと前に定義しました。この文法下では、必殺技の名前を咆吼する間、時間は可変し間延びできます。円谷は『太平洋の嵐』のオアフ島を造形する際、艦攻の編隊に合わせて山を作り、「実際の地形と異なるのはやむを得ない」としました*1。ミニチュアワークで自然を模倣する限界を自覚していた彼は、当時の本編演出が基本としていたリアリズムの文法を使うわけには行きません。岡本喜八が語るように*2、リアリズムの文法からすれば、ミニチュアはどこまでもミニチュアに過ぎないからです。岡本にとっての、つまりリアリズムにとっての特撮とは何か知りたければ、『ブルークリスマス』のスクランブルシーンを参照すればよいでしょう。円谷の文法とはまるで異なる発想で撮られています。



岡本喜八の名が出てきたところで、話を庵野秀明に戻しましょう。



庵野は岡本の影響下にある人ですから、『エヴァ破』のメカやエフェクトのカットはリアリズムの文法で作られています。エヴァは必殺技を咆吼しません。ところが、これが人間の芝居に戻り、第3新東京市の執拗な景観ショットになると、われわれは『太平洋の嵐』のオアフ島を連想してしまう。極端な分類になりますが、60年代前半の特撮映画は、本編がリアリズムの文法で、特撮パートがロマンティシズム寄りでした。これが『エヴァ破』になると逆転する。メカパートは簡潔なリアリズムなのに、お芝居が冗長になる。メカ作監で身を立てた庵野は、自分の描画する人物の情報量を信用しません。そして情報量を信用しないで工夫を始めるとロマンティシズムの文法と親和性が高くなるのです。



+++



前に述べたように、リアリズムなエフェクトカットとロマンティシズムな本編のサラダボールは、『エヴァ破』に限らず、たとえば『男たちの大和』や『僕は、君のためにこそ死ににいく』といったエフェクトカットを伴う今日の邦画に広く見受けられます。本編もエフェクトカットと同じ文法で作ってくれ、と私は欲望しますが、人はそれをハリウッド映画と呼ぶことでしょう。


*1:増淵健 1983 「戦争映画と円谷英二 『太平洋の嵐』を中心に」, 『円谷英二の映像世界』 : 56-65, 実業之日本社

*2:中島伸介他 1992 「大日本ファンタスティック映画紳士録」, 『別冊宝島 映画宝島Vol.2 怪獣学・入門!』 : 117-132, 宝島社