魔性からのサルベージ 『男はつらいよ 柴又慕情』


もしこれが、女の好意を誤解した童貞の物語であるならば、よくある残虐な話で終わってしまう。そうなると、寅の立場に身を置けば、吉永小百合は理解の不能な憎悪の対象となりかねない。われわれは、小百合のモンスター性の中に眠る、彼女の理解可能な造形を発見せねばならない。



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冒頭、小百合らが田楽屋に入ってくると、寅は極度の警戒モードにあり、本当は気になった仕方がないにもかかわらず、好意を露わにしない。一行が田楽屋を出て、記念撮影を行い、寅がそこでヘマこいたところでようやく護身が崩されるのだが、このセットアップのどさくさの中で、笑い崩れた吉永の肩をポンと叩くなど、寅は童貞らしくない所作をしている。おそらく行きずりだから、ということで蛮勇を振るう気にもなったのだろうか。これ以降、寅が小百合に手を触れることはなかった。対して小百合は、続く金沢ロケのモンタージュにおいて、二度も寅の肩に触れている。これは惚れたのであるか? いやいや恋慕の対象にそう気安く触れられるものでもなかろう。童貞のココロは揺れ動く。しかし語り手の山田洋次にとっては、その混乱こそ狙いである。彼はここで、小百合をモンスターとして描こうとしている。それはターニングポイントの悪意的な設定からも明らかだ。



シーンを追ってみよう。



金沢で小百合と別れてから2シーン後、寅は江戸川縁で再会した小百合の知人に「彼女は寅に会いたがってる」と聞かされ、とろける。さらに1シーン飛んで、小百合がとら屋を訪ねる。寅は狂乱する。小百合は「来てよかった」と述べる。そして、とら屋のシーンが終わった後、ターニングポイントがやって来る。小百合に婚約者ありの情報が放流されるのだ。尺を考えれば、ここまでで巻頭から100分を経っている。最初のポイントである田楽屋は30分目だった。つまり、あと30分以上も尺が残っているにもかかわらず、残酷な情報が早々に観客へ開示される。これは嗜虐趣味だろう。これから30分、貴様等童貞をサンドバッグにしてやろうと挑発しているのだ。ここの貴様等とは寅を含まない。寅は巻末に至らないとこの情報を知ることはない。



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情報公開の後、小百合はとら屋に宿泊する。まず夕べの語らいで小百合の処女喪失を知った寅は驚愕し、いじける。しかし、相手との破談を知って気を取り直す。小百合はお泊まりを決意して寅は狂う。小百合は「明日散歩に連れてゆけ」と、つまりデエトせよといって寅を惑わす。翌日、小百合はさくら宅に招待される。小百合と自分との結納の相談だと完全に誤解した寅は狂う。さくら宅では、それは結婚の相談に違いなかったのだが、相手は寅ならぬ婚約者のことで、小百合を迎えに来た寅は、その帰路でようやく婚約者の存在を知るに至る。



ここで残り10分となり、われわれ一部観客は山田にボコボコにされて涙目なのだが、反面、冒頭で述べたような、腑に落ちない点が出てくる。このままボコボコにして終わるのなら、小百合は鈍感なモンスターのままだ。童貞を狂わせる魔性で終わってしまう。したがって、サンドバッグに新たな意味が明かされてくるのだ。



まず寅の気持ちを全く解さない小百合は、失恋ホヤホヤの寅に爆弾を放りつづける。「彼だって寅さんのことがきっと大好きになるわよ」「寅さんに会えなかったら、わたしあきらめていたかもしれない」云々。ところが、爆弾を放擲する内に、寅ではなく小百合が涕泣をはじめる。しかも自分が涕泣しながら、彼女にはその理由がわからない。「へんね、うれしいのに」と戸惑う。つまり、うれし泣きではない。彼女もまた何かを失ったのである。失ってみて初めて知ったのである。この隣の男に、何らかの好意があったことを。



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エクスキューズが念入りに仕込まれているとはいえ、行動分析的に見れば小百合の物腰は寅が誤解しても仕方のないものだった。にもかかわらず、シーンが小百合の視点へ移ると、寅の存在は霧散し、違う物語となってしまう。これの間隙にあるものは、あくまで寅に対して気はないという、語り手がキャラに課した抑圧である。小百合は、自分の抑圧を知らず、自分の涙の理由がわからない。ただ、自分が何かに抑圧されていることを悟り戸惑うばかりである。ところが、小百合の体は、知らずにはいられなかったのだ。隣の男が、やせ我慢をしていることを。ここにおいて、小百合は魔性からようやくサルベージされたのである。