機能は伝播する 『大列車作戦』

機関士ではなく運転主任の映画である。普段のバート・ランカスターはデスクワークをしたり、信号所でテコ操作やったりする。これが非常時には機関士をするというのだから、「キャーシュニンサーン」と嬌声が飛ぶ。90分で機関車を降りたランカスターがランボー化して「キャーシュニンサーン」から逸脱しても、今度はドイツ軍の少佐殿が機関車の運用を引き継いで、冷酷な現場主義で「キャーシュニンサーン」を煽る。キャラの逐次投入のお手本と言ってよく、「キャーシュニンサーン」という機能性が彼我を超えて引き継がれるところに、話の奥行きが出る。「キャーシュニンサーン」は線路周りの人間に憑依するのだ。



奥行きといえば絵面もそうで、線路の近くでローポジすると、線形がたちまち消失点を暴露してしまう。そこに沿って隊列がならび、犬釘が抜かれて行くから、遠近感がわかりやすい。



64年の作品であるが、所々にヌーヴェルヴァーグの風が吹き始めていて、過度期を思わせる。