全性愛の陽のもとに 『望郷』


『将軍たちの夜』を連想したのだった。『将軍たちの夜』でピーター・オトゥールの猟奇殺人を追うのはオマー・シャリフである。『望郷』でジャン・ギャバンを追っているスリマン(リュカ・グリドゥ)は現地人の扮装をしている。どちらも捜査官が中東系かそれに準ずる人物である。


『将軍たちの夜』はオトゥール&シャリフというキャスティングを『アラビアのロレンス』から踏襲することで、ロレンスの配役が受け手の思考におのずと課す枠を利用してわれわれを誘導しようと試みる。劇中でオトゥールのゲイ疑惑が言及される。ロレンスの連想からわれわれはその疑惑を容易く信じてしまう。この確信が従卒を連れてパリ観光するオトゥールを劇化してしまうのだ。オトゥールの異様な芝居を見て、従卒の貞操が危機にさらされているのだとわれわれは誤解して、勝手に緊張を強いられるのである。『望郷』のジャン・ギャバンも男色の気配が濃厚である。スリマンの顎をやたらとなで回し、お気に入りの若い衆の失踪に動揺を来す。


『将軍たちの夜』は戦況にかかわらず捜査を敢行するシャリフの、職業人としての生き様の話である。この手の魅力は『望郷』のスリマンにもよく出ている。容貌が菅義偉のこの人物は童貞の闇に落ちないのがいい。


『望郷』のジャン・ギャバンは性欲が強い。彼の全性愛志向は力強い性欲の現れにも見える。劇中のギャバンはミレーユ・バランに惹かれ口説きにかかる。たちまちバストショットでふたりは交互に見つめ合い、ソフトフォーカスでキラキラになる。これが作中から文法的に浮いてしまい笑ってしまうのである。撮影時期が30年代後半だから古いのである。これ以外の場面は時代相応に撮られているので、ソフトフォーカスキラキラバストが浮いてしまうのだ。したがって次の引きのショットになると、ソフトフォーカスキラキラのふたりが文法的途絶により一気に客観化されてしまう。ギャバンとミレーユはキラキラのまま見つめ合っているが、その手前では二人に背を向けたスリマンがアンニュイな表情を浮かべていて、このキラキラしたふたりを暗に揶揄している。


しかしながら、この童貞的孤立状況にあってスリマンが前向きなのがいい。彼はふたりの熱愛を悟るや、これは利用できるとほくそ笑む。そこには仕事の情熱だけあって、松本清張のように現実充実者を嵌めてやろうという闇は感じられない。


対して性欲に突き動かされるギャバンの焦燥と無軌道ぶりはどうだろうか。彼はミレーユを追って街に出ようとする。しかし街に出ては逮捕されるという設定である。情婦のイネスが止めにかかる。ミレーユがうちに来ていると虚言する。急ぎ帰宅したギャバンはミレーユの不在を認めると、我に返り、自分が莫迦だったお前しかいないとイネスに吐露。夫婦善哉となって、いい話じゃねえかと思わせつつ、ギャバンが家を出るとミレーユがいて再び狂う。先ほどまでの夫婦善哉は何だったのか。


これと性欲に動じないスリマンの仕事人振りとの対比を見せられると、禁欲・出家の勧めだとか、反ネポティズムとか、そういう世界観を思わされるのだが、童貞の闇が介在しないことで説話臭さは緩和されている。スリマンに対するギャバンの男色傾向、つまり自分がギャバンに感化を与え得ているという自覚が、彼に余裕をもたらしているのだろう。