ロバート・J・ソウヤー 『フレームシフト』

フレームシフト (ハヤカワ文庫SF)
 ソウヤーの作品世界には自意識のない陽性の気質が事欠かない。『スタープレックス』のイルカやイブ族はその最たるものだが、人類しか出てこない『フレームシフト』でも登場人物は基本的に自意識を持たない。ヒロインがテレパスという設定は、その俗謡調に驚くものの、これが人々の自意識なき陽性気質を曝露する役割をする。形姿のよいヒロインに接した男たちはことごとく「やらせろ」という思念をヒロインに伝えるばかりである。当然ヒロインはうんざりしてしまう。
 形姿のよい女に接したオスの思念がセクシャリティを帯びるのは自然だ。しかし自意識が介在すると、今自分の思念がセクシャリティを帯びたという自覚が生じる。行動重視の薩摩人が厭うように、この手の自意識は人を抑制的にし得る。オスの思念がセクシャリティを帯びたことがメスに発覚した時点で、オスはメスに従属することとなる。それを自覚して恐れるがゆえに、セクシャリティを抑制してメスに対して何気ない物腰を振る舞うよう自意識はオスに対して要請しかねないのである。
 オスがメスに従属する如何ともしがたさは『スタープレックス』において、ウォルダフード族の極端なポリアンドリー社会を設定することで散々に言及されたものだった。ところが『フレームシフト』になるとこのオスの自意識がなくなってしまう。そして、イルカやイブ族がそうであったように、自意識のない明朗さが、たとえそれが悪役のものであっても、われわれを惹きつけるのである。たとえば、主人公男は陰湿な上司が元ナチスの戦犯ではないかと疑っている。そこでヒロインが上司に鎌をかけて、そこに浮かんだ彼の思念を読み取ろうとする。その思念の内容が人が良いというか、自意識のない人間の好ましさとはどんなものか、語り手の意図とは別に伝えてしまうのである。


 ヒロインのテレパス設定もそうだが、保険会社のCEOが元ナチスで、疾患のある契約者を殺害して回るという話も、これはどうかと思われる俗謡調である。人々に自意識がなくしたがって自省がないために、罪を犯す者もそれを追う者も行くところまで行ってしまうのである。作中でもっとも自省できる主人公男が仏語話者という設定も、自意識なき世界観と矛盾しない。言葉の壁ゆえに、彼の思念だけはテレパスのヒロインも読み取ることができないのだ。