石神井川を遡上する

 5年前の春に石神井川の河口まで散歩したことがあった。河口といっても隅田川と合流して消滅するのだが。


 河口まで歩いてみると、逆に遡上して水源に到達したい欲望が昂じてきた。これは長年果たせないままになっていたが、先日、時間が出来た折に決行した。

 最初に通過するのは石神井公園である。勤務先に近く、よく散策する。石神井池は平日でも人出があって気忙しく好みではないのだが、奥の三宝寺池まで入ると人気が無くなり快適になる。


 小室直樹の藤美荘が三宝寺池の近くにあって、池を我が庭と呼んでいた。藤美荘は取り壊され跡地はレオパレスになっている。やはり会社から近いこともあって、そのレオパレス聖地巡礼したことがある。勤務先の近所には安吾ファンお馴染みのほかり食堂もある。駅前のタリーズには近くのタワマンに住まう池上彰が出没する。


 今回は三宝寺池の手前で南下して川沿いに出た。川は新青梅を超える辺りになると柵渠となり、遡っているにもかかわらず、下流のような風情になる。下流も同じような柵渠である。


 わたしの住む中流域は拡幅工事で変貌していて、下流と上流に拡張前の柵渠が残っているのだ。先の台風ではその柵渠部分が溢れそうになった。もっとも、近所の古老の話によれば、15年ほど前に中流をも氾濫させた豪雨があったそうだ。
 わたしはその頃、桜台に住んでいた。この大雨の記憶はない。検索すると2005年9月4日に溢れたとある。日記に当たると「夜半に記録的豪雨」と律儀に記してあった。1時間に100mmだったそうだ。石神井川の拡幅部は75mm想定である。引っ越す前にハザードマップを調べたところ現住居は最大で床下浸水で、上階に住むわたしには関係がない。
 日記によれば、この豪雨の5日前、あの『害虫』を見ている。豪雨翌日にはシャマランの『ヴィレッジ』を見た。翌週が郵政選挙である。
 なお、歯の定期検診で先の台風の話題となったとき、歯科衛生士嬢は「こわかったですねえ」と歎じた。わたしはむしろ愉しかったのだが、「ワクワクした」というわけにもいかず返答に窮した。
 話を戻す。
 新青梅を超えると武蔵関公園である。



 訪れるのは初めてであった。地勢は三宝寺池が劣化した趣だが、閑寂とした佇まいが気に入って、将来はこの辺りに隠居所を構えれば散策し放題とほくそ笑みつつ公園を抜けたら次第に興ざめしてきた。川は上流を遡ればそれだけ雅になるものだろう。ところがこのクソ川は東伏見~田無の南あたりからドブ川のような惨状を呈してきた。


 街並みも昭和状になってきて、これはこれで雅なのだが11月下旬なのに薄手の上着では耐えられない陽気に目を回し始める。
 東伏見には某背景会社さんが昔あって、制作のころよく通った。田無にも某原画マン氏が居を構えていてよく通った。ある日、氏の宅を訪れると、玄関の扉に「死」と大書きされた跡が残っていた。つまりいい思い出がない。
 石神井川小金井公園の北で事切れる。小金井公園は何度か訪れたことがある。あらためて散策してみると光が丘公園を思わせる作りである。


 ただ、光が丘公園は中央に巨大な広場がある。小金井公園には江戸たてもの園がある。この近辺に隠居所を構えるのもわるくないとほくそ笑みながら公園の北口を出ると石神井川の断末魔に到達である。


 まことにクソ川に相応しい情けない最期だ。この後、川は暗渠となって嘉悦大の構内で消え果るのである。
 帰りは花小金井に出て、所沢経由で池袋線に乗り換え帰宅した。およそ15kmの道のりだった。そのあと書見して昼寝してお相撲を見た。