『運命の逆転』 Reversal of Fortune (1990)

ジェレミー・アイアンズの犯意をぼかすためにこそ、彼の内面は受け手に開かれている。内面が駄々洩れならば犯意も明るみになりそうだが、その思い込みが逆に犯意の隠匿に用いられる。内面が明らかなキャラだから犯意はないに違いない。

しかしながら、隠し事を敢えて曝露して隠そうとする営みには根本的な矛盾がある。犯意から受け手を遠ざけたとしても、かかる営みを試みた人物の言動には矛盾の痕跡が現れるはずだ。

人物の言動に亀裂が出る。これは合理化せねばならない。さもなければ、違和感が誤誘導を無効にするだろう。



本作はオッサン版『あのこは貴族』である。ジェレミーは妻殺しの嫌疑をかけられる。彼はイギリス貴族である。弁護を引き受けたロン・シルヴァーは中産階級だ。

会食をする二人。ロンはパンを口で噛み切り、残った切片を皿に放る。この一連の行為を目撃したジェレミーはギョッとする。


階級の壁が表現されたととれるが、会話の内容に着目すると事態は輻輳してくる。弁護を渋っていたロンがここで依頼を引き受ける旨をジェレミーに伝えているのだ。ジェレミーの驚愕はダブルミーニング化し、真意は不明瞭になる。その驚きは中産階級への嫌悪なのか、依頼が受諾された喜びなのか。

階級の壁はある。しかし仕事の話は壁を越えて流通する。ロンの野蛮な振る舞いに気を取られても、仕事の話が正気を引き戻す。かかる感情の忙しい往来がジェレミーに金持ちの徳と呼ぶべき愛嬌をもたらす。

中華屋でジェレミーはロンとその手下らと会食する。海老のショウガ煮がやってきてジェレミーはよろこぶ。ところが、ロンが仕事の質問をしてジェレミーはショウガ煮を取り損なう。ジェレミーは語り始めるが、手下どもの間で取りまわされるショウガ煮の大皿が気になって仕方がない。大皿の行方を気にしつつ、ロンの質問で我に返る忙しい芝居をやる。


愛人との情事についてシリアスに一席ぶって我に返ると、空になった大皿が目の前に回ってくる。

帰宅した彼らは話の続きをやる。安っぽいマグカップに茶を供されるジェレミー。高いスーツとマグカップの対比がすごいが、砂糖をカップに投じた彼はチンチンチンと涼しい顔でかき回し始める。一同はイギリス人の行為にギョッとする。ジェレミーは周囲の反応に気づかない。


犯意をぼかすミステリーの際どい営みが融通無碍の叙法と互換して軽蔑を双務化する。あるいは妻グレン・クローズの造形に新たな解釈を付する。

メンタルを病む妻が夫を苛む。ジェレミーはこのアレな妻のどこに惹かれたのだろうか。回想が始まる。1964年、フォン・オーレスバーグ公爵邸の庭先。闖入してきたペットの虎に皆が怯える中、グレンはむしろ嬉々として虎を迎え入れる。この模様を目撃したジェレミーは恋に落ちる。妻のアレなメンタルに恋は発し、潰えたのである。