仮文芸

現代邦画とSFの感想

春暮康一『一億年のテレスコープ』

一億年のテレスコープその事業には動機と過程が欠落している。観測データの収集は基礎研究の動機たり得るが、動機に実体がなくかつ規模が大きくなればファイナンスが困難になり語るべき課題が生じる。単なるデータ収集を越える具体的な動機をどう設定するか。それが無理ならどうやってファイナンスするか。


全編に渡って語り手は動機の不在を自覚していると半ば自嘲的にアピールしてくる。太陽系の資源を無駄にするなと抗議する運動が起こる。何のために旅をして異星人とコンタクトするのか男は自省せずにはいられない。異星人は計画の目的を問う。観測網を広げて文明を見つけるためであるが、なぜ交流したいのか彼は答えに詰まってしまう。遠い未来から計画を振り返るメタ視点は、異星人と接触して合成開口の装置を置いて回る繰り返しに飽き始める。


動機が不在ならファイナンスが筋の課題となるはずだ。これは「スポンサーがついた」の一言で片づけられる。恒星間航行に乗り出す際にも便利キャラが見えないところで船を設計製造する法人を事前に設立していて、計画のファイナンスと技術的課題で生じそうな工学SFの余地を2、3行で終わらせてしまう。


経済的裏付けを欠き動機をぼんやりさせたまま計画を実行させたために、男はIDクライシスを訴えるはめになる。筋としては異星人の御用聞きをやる代わりに装置を置いていくお使いゲーに過ぎなくなり、「こんな予備工程にもたつけない」とやはりキャラに自嘲させる。SFはもっぱら異星人の参与観察に枚数を費やして身の証を立てる。


動機は事件がなければ実体化しない。この話にはサブクエストはあっても白色矮星が飛来してくるような筋全体を統べる事件がない。なぜ遠くを見たいのか主人公には明確な答えがない。


事件が起こるのは317頁目、「消えた連星」である。フィクションの作法に則ればこれこそ序盤に置かれるべきイベントである。実際に事件に触発されて遠くを見たい男の動機が具体的裏付けを初めて得る。恒星を渡り歩くうちに男は数々の死滅した文明を発見し不安に襲われつつあった。自分をアップロードして獲得した永遠の命にも限りがあるのではないか。滅びた文明と彼の人生がリンクしてしまえば、滅亡のメカニズムの解明が切実な課題となり、恒星めぐりに動機が生じる。それまでの300頁は事件によって顕在化されるべき潜在的な負い目の養成に費やされていたのだった。