ARIA The ORIGINATION #11


 臨場した天才から見れば、凡才は成長の生け贄にすぎないが、負け犬は負け犬で、天才の感化を利用するような、ただでは転びたくない貧乏性がある。確かに、天才の副次的効果として凡才の成長が促進されても誤差の範囲だろうから、そこに合理化を期待するのは酷な話だ。しかし、誤差の範囲を自覚しながらも実用主義的な配慮を放棄しないとき、負け犬の自虐が何らかの品位へと至ることもある。このことは、藍華のやや理想化された動機よりも、ノンキャリの自覚ゆえに機能的な晃の振る舞いに、より多くが語られると思う。まあ搾取などといった解釈もありだろうが。