仮文芸

現代邦画とSFの感想

テレビ『バトルアスリーテス大運動会』

バトルアスリーテス大運動会 TV-BOX 1 熱闘南極篇 [DVD]
神崎あかりの堂に入ったヘタレ振りにわれわれが移入できるのはよいとしても、後々、彼女の才能が発覚すると、その効果は無効になりかねないし、あかりを保護する一乃の万能感にも依存できなくなる。むろん、性愛の様相を呈する彼女らの友情をムフフと中年親父じみた好色の微笑みで眺める余裕もなくなる。いわゆる、『ラブひな』の景太郎問題である――景太郎が成長してヘタレなわれわれを置き去りに……。


けれども、そこで動揺するのはわれわれだけではない。雑魚だと思い保護してきたあかりに今度は一乃が脅かされ、物語の課題を付託される形となる。つまり、天才の降臨に際し、凡人はいかにやせ我慢すべきか、といった説話だ。ヘタレ作劇の階梯は二段構えになっていて、あかりに課せられたヘタレ性は、凡人の美学という強度を帯びながら一乃に移転する。


ただ、一乃については、力関係の明確だった友情の政治学をいたずらに試して盛り上げるような、刹那的な扱いで終わってしまい、物語の課題は消化不良の感がある。したがって、やせ我慢の美学・負け犬根性の合理化はクリスの動機として継承されねばならず、巨大な才能に捧げられる生け贄の使命感、という解答がそこから出てきたりもする。