善意が悪意を誤解する 『アウトレイジ』

謳い文句の割には『アウトレイジ』がピカレスク(?)にならない。前に言及したように、虐げられた文弱が体育会系を撃退するギーク映画に見えてしまって、後味が爽快だった。



もともとキャラの好意的な印象を押さえたがる語り手には、國村隼の大勝利エンドはやりにくい。というより、根っから善人だから悪意という現象が信じられない。結果、國村は理解を超えた造形として、つまり天然として扱われた、と解せるだろう。