偶然なる文弱 『ソルト』


語り手の欲望をキャラに反映させるのは別に構わなくて、むしろ、その造形に現れた語り手の欲望の低廉さが嘲笑を誘うのだと思う。アンジーの旦那に文弱を美化させたい語り手の欲望を見てわたしは笑う。同時に、「お前らこういうものがスキだろう」と語り手に自分をひどく安く見られた気がして気分を害する。



文弱の美化でも、生けるセクハラことリーヴ・シュレイバーの方がまだダメージは少ない。三角関係に破れるという自虐も、これはこれでイヤらしいが、彼が虐げられるほどにアンジー夫の美化が煽られ、反対に夫が煽られるだけ彼が虐げられる点で、このふたりは補完関係にある。語りにテクニカルな美がある。



キウェテル・イジョフォーは、語り手の欲望を旦那とリーヴほど直截には担わない。アンジーとの絡みは、仕事の上のやむを得ない偶然を装い、たまたま文弱が美化されたということで、われわれを自意識で苦しめることなく素直によがらせてくれる。アンジー夫の隙多き造形が、われわれをキウェテルに至らしめるための誘導だったとそこで気づかされる。





アンジー夫やリーヴはいうまでもなく、おそらくキウェテルですら、単独で文弱の欲望に応えようとすれば、このイヤらしさは容易く見破られ、われわれを苦悶に陥れたかも知れない。文弱という性質が個体間を移転する内に洗練され、娯楽に耐えうるものへと発展したのである。