ブルース・スターリング 『タクラマカン』

タクラマカン (ハヤカワ文庫SF)
 メガゾーンから脱するのではなく、外部者がメガゾーンに包摂されてしまうオチであるならば、ディザスター物の範疇に入ることだろう。ディックの『ユービック』はこの系統にしてはイレギュラーな話で、メガゾーンへの包摂に幾分かの好ましさを付加し、かかる内向性が良くも悪くも人の耳目を引いてしまう。包摂されることで、死んだと思われていたバディが生きていたことをわれわれは知るのである。
 スターリングの本書では、メガゾーンはタクラマカン砂漠の核実験場跡に見出される。メガゾーン内部では脱出計画が進行中である。ところが、外部者である主人公は逆にメガゾーン内部に魅せられてしまう。メガゾーンの神官がツンツン美少女であり、個人的な性欲が男をメガゾーンに駆り立ててしまう。メガゾーンへ吸引する理屈としては他愛もない。ただ、外部者がメガゾーンに惹かれる構図は、現代の日本語圏読者にはメタ化されやすい部分もある。バブル直前の東京を「一番いい時代」と評価した『メガゾーン23』の語り手の自意識は興味深いが、タクラマカン砂漠に見出されたメガゾーンの中身が農耕部族社会ではなくバブル直前の東京だったとしたら現代の日本語圏読者ならば切なくなるだろう。


 『ユービック』とは違い本書の外部世界はメガゾーンに完全に包摂されるわけではない。あくまで外部は存在し主人公が両者を往来できる緩さがあり、切実さとは程遠い。しかし結末では、かかる緩さがメガゾーン回帰にディザスター物の浄化をもたらすことになる。緩いがゆえにメガゾーンが外部を侵犯できるのだ。何かでかいことが始まったという所感がそこから抽出される。