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現代邦画とSFの感想

銀河英雄政体論

独裁と民主政治の社会的起源 近代世界形成過程における領主と農民 上 (岩波文庫)人類には古来より二つの政体エージェントが伝わってきた。王と貴族である。これらはそれぞれ行政府と立法府の起源となった。貴族のみで構成される政体は貴族制と呼ばれ共和制ローマや中世イタリアの都市国家がこれにあたる。君主制には貴族が含まれず王が官僚団を使い政体を運営している。歴史的中国やオスマンがその例である。封建制では王と貴族が併存する。


貴族制の欠陥は行政力の弱さにある。ローマの元老院では貴族たちは互選で任期付きの行政エージェントを選出し、任じられた貴族は私財で行政の歳費を賄った。貴族制には自分たちの裁量を奪う王の出現を阻止するインセンティヴがある。しかし行政を執行する官僚団を造営できる政体エージェントは当時としては君主制以外には知られていない。共和制ローマのアマチュア行政は後年領域拡大による行政需要の増大に対応できなくなり君主制の導入に踏み切ったが、貴族の君主フォビアは君主の世襲を禁じたために、ローマの君主制は地位継承の規定を欠いた折衷的な代物となり、君主が空位になるたびに内乱の危機が訪れローマの行政力は枯渇していった。


ゴールデンバウム王朝も自由惑星同盟も政体としての欠陥は共通している。行政府の弱さである。官僚団を抱える君主制として始まったゴールデンバウム朝は貴族が王権に優勢する政体に変質した。


貴族制が王の出現を恐れるように、君主制には貴族と呼ばれる世襲領主の出現を阻止するインセンティヴがある。歴史的中国は科挙と宦官で血縁原理に対抗し、オスマンは東欧から異教徒の子息を奴隷として輸入して大臣と将軍にした。しかし血縁原理は人にとって根強い感情であるだけに、どんなに根絶を図っても形を変えて忍び寄り君主制を変質させずにはおかない。科挙で選抜された官僚は官職を通じて獲得した富を土地に投資した。官僚の一族は土地から上がる地代で科挙の合格にかかる膨大な費用を賄い官僚を再生産し、官僚は官位によって自分のために費やされた富を回収し膨張させ再生産の構造を強化して一族の地位を維持した。貴族化した官僚団は地主として独自財源を持つため皇帝の統制が及ばず、皇帝はしばしば宦官を利用して政府内政府を造営した。オスマンのイェニチェリも妻帯禁止を破るようになり、その子息が入隊するようになって世襲化した。


貴族の出現には世襲領主の中身がすり替わるケースもある。江戸中期以降、城下に集積され農村との結びつきを絶たれた従来の封建領主に代わって新たな地主階級が農村に台頭する。収奪にさらされた農民層は貧農と富農に分化していく。収奪によって限界状況に置かれた貧農は不慮の事態に借金で対応するほかなく、返済ができなければ土地を奪われ小作化し、貸し手である富農には土地が集積する。幕末に至れば新興地主層は近代化の運動に大きな貢献をした。近代のアンロックは封建制下では曖昧だった土地の所有権を保証するために地主には明治維新を支持する動機があった。


領主の土地を無償で小作農に引き渡したフランス革命は文字通りの革命だった。明治維新ではドイツと東欧諸国と同様に近代のアンロックに際して最大の受益者となったのは貴族であった。上からの近代化は既存勢力に配慮して土地の引き渡しは有償となり、地主への補償金のために農民はますます困窮して土地はかえって地主に再集積する。東欧では農民を解放できたまれなケースもある。外国軍の進駐によって既存勢力の抵抗を排除できたのである。明治維新が貴族による政変に見えにくいのは貴族の中身がすり替わっていたからだ。


ゴールデンバウム朝は科挙や軍人奴隷を採用するオリエンタルな君主制ではない。その君主制を貴族制に変貌させた機序を考える際に参照すべきなのは、フランスの絶対王政だろう。絶対王政とは、王と貴族が併存する封建制下にあって行政の歳費を徴税以外の手段で賄う王権を指す。


貴族制の貴族たちと同様に封建制の君主は行政の執行に関してジレンマを抱えている。君主は行政の財源を必要とする。徴税には貴族の同意が求められ、同意なき場合は反乱を誘発しない程度の課税しか行えない。君主が行政の執行を試みれば裁量を制約されてしまう。ジレンマから君主が逃れる方法は二つある。スペインは南米から流入する銀で、ルイ14世は官職を貴族に売ってそれぞれ課税に依存せず絶対王政を造営した。


絶対王政は持続不能である。南米の銀は枯渇し産油国の行政力は原油価格に左右される。80年代半ばの原油価格の下落はソ連を破綻させ、その軍事力を議会なき統治の担保としていた東欧の各政体をドミノ倒しにした。フランスの官職売買は君主を貴族から解放したが、行政の執行に当たる官僚が腐敗した貴族に置き換わっていったために農民は収奪に見合う行政サービスを受けられなくなった。フランスの絶対王政は行政の費用を捻出するほど行政が劣化する負のスパイラルに陥った。逆に議会(貴族)によって恣意的徴税を制限されたイギリス王権の歳入規模はかえって増大し、行政の執行力が高まる帰結となった。


議会の開設が解である。明治の元老たちは後発だったために近代をアンロックする際には議会開設が歳入拡大の要件だと知っていたが、自由を失えばかえって自由になるこの機序は直観に反するために、イギリス議会は貴族の強請によって課税の承認権を獲得した。


イギリスに議会をもたらした条件は王権が強すぎることも貴族が独立すぎることもない一種の均衡である。領主が強すぎれば農村は強い収奪にさらされ農民は地主と小作に分離する。農村の階層分離を放置したまま近代化を強行すれば社会は安定せずファシズムに至る。王権と農民層はともに貴族の台頭を阻止する動機がある。貴族を抑えられる中央集権的な王権はしばしば農村を収奪から守る働きをする。


封建制としては例外的に中央集権的な王政をイングランドにもたらしたのは北欧からやって来たノルマン人たちである。ノルマン征服は外国軍の進駐が農民を解放するケースのバリエーションである。すでにタキトゥスの時代からスウェーデン人が集権的な王を戴いていたことは知られていた。彼らは他のゲルマン人とは違って武器の携帯が許されず、それらは王が集中的に管理していた。敵の急襲を妨げる大洋の存在がスウェーデン人の中央集権的な政体を可能にしたとタキトゥスは論じている。


王権が貴族の台頭を恐れるように貴族も王権の突出を厭う。領主の抑圧から放たれて繫栄する農村に王権が徴税を試みるとき、今度は独立自営農民と貴族の利害が一致する。貴族が強すぎれば王は貴族の収奪を防げない。王が強すぎれば貴族たちは王に対抗できず徴税権に制限を課せられない。


ローエングラム朝はクーデターによって貴族制を廃して成立した王権であり、スウェーデンのグスタフ朝と同じケースにあたる。ラインハルト崩御の際には立憲制への移行が検討されているが、門閥貴族から没収した財産を行政歳費に充てるこの王権はスペインの絶対王政と同様に議会を通じた課税の機制を発見できなければ持続不能である。建国当初から議会を保有する自由惑星同盟の政体的課題はこれとは別にある。


イギリスの政体は王が議会を解散できてしまうほど強力な行政府を内包する。イギリスから離反して建国されたアメリカ合衆国三権分立を厳格に運用するのは、貴族が王の専横を恐れるように行政府の突出を抑える意味があり、逆に抑止が効きすぎるために行政と議会の連携が取れずその政体はしばしば機能不全に陥る。ルドルフ専制のトラウマを引きずる自由惑星同盟が行政府の専横を抑止するために発明したのが、議会に自律性を奪われた弱い内閣である。この内閣は解散権を持たず閣僚人事は議会の同意を必要とし1年の任期制である。


渋滞を慢性化させる脆弱なインフラや愛国騎士団をはじめとする徒党の暗躍は行政府の機能不全の証左だろう。手始めに内閣に解散権を与え自律的な行政府を目指すべきであり、ハイネセン中央自治大の行政学者たちはこれを論じているはずだが、解散権は議会にとっては自殺に等しい政体変更であり、外部からの強制でもなければ実現が見通せない。ヤン・ウェンリーの周囲から持ち上がるクーデター願望はこの膠着に対するいら立ちの反映であり、実際に救国軍事会議によるクーデターが起こっている。トリューニヒト派の狙いも行政の自律化にあったと解せば、田中史観とは異なる景色が見えてくるだろう。